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結婚愛 338

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338 (5) ここから、キリスト教徒は、ひとりの妻をめとるのでないなら許されない
 このことは先行する確認されたものから確証されます。それらに、次のことが加えられなければなりません――本物の結婚のものは、一夫多妻を抱擁(並置)している異教徒の心よりも、キリスト教徒の心にさらに深く刻み込まれていることです。ここからキリスト教徒の心は、一夫多妻の心よりも、その愛の受けることのできるものです。なぜなら、その結婚のものは、キリスト教徒の心の内的なものに刻み込まれており、主を、その方の神性を、市民の法律(民法)によって、彼らの心の外的なもので認めるからです。