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結婚愛 337

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337 (4) したがって、真の結婚愛は、キリスト教会に属す者のもとでないなら存在することができない
結婚愛が存在しないこと、〔その結婚愛が〕どのようなものかその章の中に(57–73番)、またそれに続く章の中に、そのようにキリスト教会の者でないなら、その本質でどんなものであるか述べられており、その理由は、その愛は主おひとりからであり、主は神として近づくことができるように、他のところでそのように知られていないからです。なおまた、その愛はそれぞれの者もとの教会の状態にしたがっています(130番)、また教会の本物の状態は、主からの以外の、そのようにその方からそれを受ける者以外の他の者のもとに、他のところにないからです。
これら二つは、その愛の始まり・導入・確立であることは、このような論証や証拠、結論に達した豊富なもので、何らかのものをさらに加えることはまったく余分であるかのように、これまで確かにされています。
それでもやはり、真の結婚愛がキリスト教界にまれであることは(58, 59番)、そこに主に近づく者がわずかであり、そして、彼らの間に、確かに教会を信じ、しかし、それを生きない者がいるからです。ほかに多くのものがあり、それらは『啓示された黙示録』に明かされており、そこに今日のキリスト教会の状態が述べられています――しかし、それもかかわらず、キリスト教会からである者のもとでないなら真の結婚愛が存在することができないという真理は確かです。それゆえ、一夫多妻もここからまったく断罪されます――このこともまた主の神的摂理からであることは、摂理について正しく考えている者にはっきりと明らかです。