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結婚愛 339

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339 (6) キリスト教徒は、多くの妻をめとるなら、自然的な姦淫だけでなく、霊的な姦淫も犯す
多くの妻をめとるキリスト教徒が自然的な姦淫を犯すことは、主のことばにしたがっています、それらは、 「妻を離縁することは許されない、初めから一つの肉であるように創造されているからである。正しい理由なしに離縁し、他の女をめとる者は、姦淫を犯す」(マタイ19:3–11)です。離縁しないで、妻を引き止め、他の女をさらに加える者はさらにいっそうそのようです。
主により結ばれた結婚についてのこれらの律法は、内なる原因を霊的な結婚から導いています。なぜなら、主が話されたどんなものでも、本質的に霊的なものであったからです。それはこれらによって意味されています、

わたしがあなたがたに話すことばは、霊であり、いのちです(ヨハネ6:63)。

内在する霊的なものは、このことです――キリスト教界の中の一夫多妻の結婚によって、主と教会の結婚が冒涜され、善と真理の結婚も同様であり、そのうえ、みことばが、みことばとともに教会が冒涜され、そして、それらの冒涜は霊的な姦淫であることです。
みことばからの教会の善と真理の冒涜は姦淫に対応すること、ここから霊的な姦淫であること、また善と真理の虚偽化も同様であり、しかしより低い段階の中での冒涜であることは、『啓示された黙示録』に説明されたものが見られます(134番)。
[2]キリスト教徒のもとの一夫多妻の結婚によって、主と教会の結婚が冒涜されたことは、その神的結婚とキリスト教徒の結婚の間に対応が存在するからです(それについては前の83–102番参照)。その対応は、妻に〔さらに〕妻が付き添えられるなら失われ、それが失われるとき、配偶者である人間はもはやキリスト教徒ではありません。
キリスト教徒のもとの一夫多妻の結婚によって、善と真理の結婚が冒涜されることは、この霊的な結婚から地上の結婚が導かれるからです。善が真理をそして真理が善を愛し、そして一つであるように、妻と夫がそのようであるキリスト教徒の結婚は、このことで他の異教徒の結婚と異なっています。それゆえ、もしキリスト教徒が妻に〔さらに〕妻を付き添えるなら、その霊的な結婚はそれ自体のもとで引き裂かれ、それゆえ、その結婚の起源を冒涜し、このように霊的な姦淫を犯します――地上の結婚が善と真理の結婚から導かれることは、前に見られます(116–131番)。
キリスト教徒が一夫多妻によってみことばと教会を冒涜することは、本質的に見られたみことばが善と真理の結婚であるからです、また教会も、これがみことばからであるかぎり同様であるからです(前の128–131番参照)。
[3]さて、キリスト教徒である人間は、主を知り、みことばを持ち、彼にみことばを通して主から教会があるので、キリスト教徒でない人間よりも彼に、再生させられ、このように霊的になること、そしてまた真の結婚愛を達成すること、できるような能力があることが明らかです、なぜなら、密接に関連するからです。
キリスト教徒からの、多くの妻をめとる者は、自然的な姦淫だけでなく、同時に霊的な姦淫もまた犯すので、死後、キリスト教徒の一夫多妻の断罪は、単に自然的な姦淫を犯す者の断罪よりもさらにきびしいことがいえます。
死後の彼らの状態について質問して、私は返答を聞きました――

天界は彼らのためにまったく閉ざされる。地獄の中で、浴室の容器の中の熱湯の中に横たわっているように見える。遠方から、それでも足の上に立ち、歩いているように見える。また、そのことは彼らの内部の狂乱からである。このような者からのある者は〔その〕世界の辺境にある泥沼の中へ投げ込まれる。