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結婚愛 347

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347 (12) 一夫多妻の者は、一夫多妻の者にとどまるかぎり、霊的なものになることができない
 霊的なものになることは自然的なものから高揚されること、すなわち、世の光と熱から天界の光と熱の中に高揚されることです。この高揚については、高揚された者でないなら知りません。しかしそれでも、高揚されていない自然的な人は、やはり高揚されているとしか知覚しません。その理由は、霊的な人と等しく、自分の理解力を天界の光の中に高揚させること、そして自然的に考えることと話すことのように、霊的に考えることと話すことができるからです。しかし、もし同時に理解力に続いて意志がその高さの中に高揚されないなら、やはり高揚されません。というのは、その高揚の中にいないで、一瞬のうちに、自分自身をその意志へと降ろし、そしてそこに自分の位置を安定させるからです――意志が言われると同時に愛が意味されます、意志は愛の容器であるからです、というのは、人間が愛するものを意志するからです。
 これらのわずかなものから、一夫多妻の者は、一夫多妻の者にとどまるかぎり、すなわち同じことですが、自然的な人は自然的なものにとどまるかぎり、霊的なものになることができないことを明らかにすることができます。