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結婚愛 350

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350 人間が獣よりも卑しいものに生まれていることはよく知られています。
すべての獣は自分の生命の愛に対応する知識の中に生まれています。というのは、子宮から落ちる、あるいは卵から孵化するとすぐに、見、聞き、歩き、自分の食物・母親・友・敵を知り、そのうちに、〔異〕性を、愛することを知り、そしてまた子を育てることを知るからです。
生まれたとき人間だけが、このようなものを何も知りません、というのは、彼に生来の知識が何もないからです。知識と愛に属すものを受け入れる能力と性向だけがあります。また、もしこれらを他の者から受けないなら、卑しい獣にとどまります――人間は何も自分自身に帰さないように、しかし他の者に、また最後に知恵とその愛のすべてのものを神おひとりに帰す目的のために生まれています、そしてここから神の映像になることができることがメモラビリアに見られます(132–136番)。
[2]これらから、主が世にやって来たこと、神であることを他の者を通して知らないで、単に宗教について、また自分の王国の法律について何らかの知識を吸収した人間は、もし性愛についてよりも結婚愛についてさらに考えなくても、一夫多妻の愛だけが結婚愛であることを信じても、批難されないことがいえます――主はこれらの者を彼らの無知の中で導き、神的摂理の導きで、宗教から悪を罪として避ける者を、救われる目的のために、罪を帰すことから引き戻されます。というのは、だれでも人間は天界へと生まれており、だれも地獄へと生まれていません、だれもが、主により天界へ行き、自分自身から地獄へ行くからです。