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結婚愛 413

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413 (21) そこでは、彼らのもとの幼児の無垢が知恵の無垢になるように主により備えられている
多くの者は、幼児は幼児のままにとどまり、死後、直ちに天使になる、と思うかもしれません。しかし、知性と知恵が天使をつくります。それゆえ、幼児がそれら〔知性と知恵〕を持たない間、確かに天使たちのもとにいますが、天使たちではありません。しかし、知性と知恵がつくられる時、その時、初めて天使になります。
そこで、幼児は幼児の無垢から知恵の無垢へ、すなわち、外なる無垢から内なる無垢へ連れて行かれます。彼らのすべての教育と進歩の目的はこの無垢です。それゆえ、知恵が無垢へやって来るとき、彼らに幼児の無垢が結び付けられます、それは彼らにその間に面として役立ったものです。
幼児の無垢がどんなものか、私は、ほとんど生命の欠けている木製のものによって表象されたのを見ました。それは真理の認識と善の情愛を吸収して、生きいきとされました。その後、幼児の無垢がどんなものか、活気のある裸の幼児によって表象されました。他の者よりも主からの無垢の状態の中にいる第三の天界の天使たちは、下方の天界にいる霊たちの目の前で、裸の幼児のように見えます、他の者よりも賢明であるので、さらにまた生きいきとしています。その理由は、無垢が幼児に、そしてまた裸に対応するからです――それゆえ、アダムとその妻について、無垢の状態の中にいたとき、裸でした、恥ずかしがらなかったこと、しかし、無垢の状態が失われた後に、裸を恥ずかしがり、自分自身を隠したことが言われています(創世記2:25, 3:7, 10, 11)――一言でいえば、天使は賢明であればあるほどますます無垢です。
知恵の無垢がどんなものであるか、前に述べられた幼児の無垢から、ある程度、見られることができます(395番)、そこに父たちとして、「父」としての主が受け入れられさえすれば、その方により導かれ、その方にすべてのものが受け入れられます。