カテゴリー

結婚愛 440

439◀︎目次▶︎441

440 (15) 淫行愛の快感は肉から始まり、霊の中でも肉のものである。しかし、結婚愛の快感は霊の中で始まり、肉の中でも霊のものである
 淫行愛の快感が肉から始まることは、肉の興奮がそれらの始まりであるからです――それが霊を感染させ、そしてそれは霊の中でもまた肉のものです、肉は感じないからです、しかし霊が肉の中で起こるそれらを感じます。この感覚は他の感覚と似たものです、例えば、目は対象の中のいろいろなものを見ないし、識別しません、しかし霊が〔します〕。耳も歌の中の調子の中の調和する音を、また話しの中の音の区切りの調和を聞かないし、識別しません、しかし霊が〔します〕。そして、霊は知恵へのその高揚にしたがってすべてのものを感じます。身体の感覚的なものの上方に高揚されていません、このようにそれらに付着する霊は、肉からまた世から身体の感覚を通して流入する快感しか感じません。これらを捕え、これらで楽しみ、自分のものにします。
[2]さて、淫行愛の始まりは単なる肉の興奮と情欲であるので、これは霊の中で不潔な誘惑するものであり、それは上昇し、下降し、前後するようなものであり、そのように刺激し、興奮させることが明らかです。
 全般的に、本質的に眺められた肉の欲望は、悪と虚偽の情欲の塊状集積でしかありません。ここから、教会の中に、肉は霊に逆らって、すなわち、霊的な人に逆らって熱望するという真理があります。それゆえ、肉の快感は、淫行愛の快感に関して、沸騰する情欲でしかなく、それらは霊の中で慎みなさの豊かな源となっていることがいえます。