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結婚愛 461

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41 快さについて、それは天界と地獄の普遍的なものである

461 (これらに次のメモラビリアを加えます——)
かつて私は、世にいた時、天界と地獄について多くのものを熟考した新来の霊と話した。新来の霊によって新たに死んだ人間が意味される、その者はその時、霊と呼ばれる霊的な人間であるからである。
彼は、霊界に入るとすぐに、天界と地獄について同様に熟考し始めた。天界について〔熟考する〕とき、自分自身が楽しさの中に、また地獄について〔熟考する〕とき、悲しみの中に〔いるように〕見られた。
彼は自分自身が霊界にいることを認めたとき、直ちに、天界がどこに、地獄がどこに、なおまたそれらが何か、どんなものか求めた。
〔そこにいる者が〕答えた、「天界はあなたの頭の上方にあり、地獄はあなたの足の下方にある、というのは、今や、あなたは天界と地獄の中央にある霊たちの世界にいるからである。しかし天界と地獄が何か、どんなものか、私たちは簡単に述べることができない」。
その時、知ることの願望が燃え立ったので、ひざまずき、教えられるようにと信心深く神に祈った。
すると、見よ、天使が右に現われ、彼を起こし、言った、「あなたは天界と地獄について教えられるようにと懇願しました。何が快さか探求し、学びなさい、するとあなたは知ります」。
天使は、これらを言って、上げられた。
[2]その時、新来の霊は自分自身に言った、「『何が快さか探求し、学びなさい、するとあなたは天界と地獄が何か、どんなものか知ります』とは何か?」。しかしその場所から立ち去って、歩きまわった。出会った者に話しかけて、言った、「お願いがあります、もしよろしかったら、何が快さか言ってください」。
ある者は言った、「これは何たる質問なのか? 何が快さか、だれが知らないか? 楽しさと喜びではないのか? それゆえ、あるものがもう一つのように、快さは快さである。私たちは違いを知らない」。
他の者たちは、快さは心のほほ笑みであることを言った、「というのは、心がほほ笑む時、顔は機嫌がよく、話し方は冗談まじりで、身振りはふざけている、人間全体は快さの中にいるからである」。
けれども、ある者たちは言った、「快さは、宴会で、ごちそうを食べ、そして銘酒を飲んで酔うこと、その時、いろいろな事柄について、特にウェヌスとクピドー(愛欲と欲望)の遊びについておしゃべりすること以外の他のものでは決してない」。
[3]これらを聞いて、憤慨した新来の霊は自分自身に言った、「これらの答えは田舎者のものである、公衆のもの(=教養あるもの)ではない。これらの快さは天界でも地獄でもない。私は賢明な者に出会えればよいのに」。彼らから去り、求めた、「賢明な者はどこにいるのか?」
その時、天使的なある霊により見られ、その者は言った、「私は、あなたが天界の全般的なものと地獄の全般的なものを知る願望にかきたてられていることを知覚しました、このこと〔天界と地獄〕は快さであるので、私はあなたを丘の上に導きます、そこに毎日、結果を調べる者・原因を探し求める者・目的を見つけ出す者が集まります——三つの集団があり、結果を調べる者は、知識の霊、また抽象的に「知識」と呼ばれます。原因を探し求める者は、知的な霊、また抽象的に「知性」と呼ばれます。目的を見つけ出す者は、知恵の霊、また抽象的に「知恵」と呼ばれます——彼らのまっ直ぐ上方に、天界に天使がいます、彼らは目的から原因を、原因から結果を見ます。これらの天使から、それらの三つの集団に照らしがあります」。
[4]彼は、その時、新来の霊を、手をつかまえて、丘の上へ、集団へ導いた、彼らは目的を調べる(見つけ出す)「知恵」と呼ばれる者たちであった。
彼らに言った、「私があなたがたへ上ること許してください——その理由は、私は子供時代から天界と地獄について熟考したからです、近ごろ私はこの世界にやって来て、私と仲間となったある者が、その時、ここに天界は私の頭の上方にある、そして地獄は私の足の下方にあると言いました。しかしそれらが何か、どんなものか言いませんでした。それゆえ、それらについての思考から絶えず悩まされて、私は神に祈りました。その時、天使がそばに立ち、言いました、『何が「快さ」か探求し、学べ、するとあなたは知る』。私は探求しました、しかし依然としてむなしいです——それで、お願いします、よろしかったら、あなたがたは、何が快さか私に教えてください」。
[5]これに「知恵(の霊たち)」が答えた、「快さは、天界のすべての者のいのちのすべてです、地獄のすべての者のいのちのすべてです——天界にいる者たちに、善と真理の快さがあります。けれども、地獄にいる者に、悪と虚偽の快さがあります。というのは、すべての快さは愛のものであり、愛は人間のいのちのエッセ(存在)であるからです。それゆえ、人間は自分の愛がどんなものかにしたがって人間であるように、そのように人間は自分の快さがどんなものかにしたがって人間です——愛の活動が快さの感覚をつくります。天界でその活動は知恵をともにあり、地獄でその活動は狂気をともにあります。両方のものはその対象の中で快さをひき起こします。けれども、天界のものと地獄のものは、対立する愛の中にあるので、対立する快さの中にあります。天界のものは〔善の〕愛とここから善を行なう快さの中にあります、けれども、地獄のものは〔悪の〕愛とここから悪を行なう快さの中にあります——それで、もしあなたが何が快さか知るなら、あなたは天界と地獄が何か、どんなものであるか知るでしょう。
しかし何が快さか、原因を探し求める「知性」と呼ばれる者から探求し、学びなさい。〔彼らは〕この場所から右側にいます」。
[6]私は去り、また近づき、到来の理由を言い、何が快さか教えるよう懇願した。
これらの者は質問にうれしがって言った、「快さを知る者が天界と地獄が何か、どんなものであるか知ることは真理です——意志は、その意志から人間は人間であり、快さからでないなら、決して一瞬も生じません。なぜなら、本質的に眺められた意志は、愛の情愛、そのように、快さの何らかの情愛でしかないから、というのは、何らかの選択・好み・心地よさであり、それが欲することを行なうからです。意志は理解力を考えることへ駆りたて、意志の快さの流れ入るものからでないなら、最小量の思考の観念も存在しません。
そのようであることの理由は、主は自分自身から流入によって、天使・霊・人間のもとのすべての霊魂とすべての心を拍動させ、愛と知恵の流入によって活動させ、この流入は活動そのものであり、その活動からすべての快さがあり、その起源の中で至福・幸せ・幸福と呼ばれ、派生物の中で快さ・楽しさ・心地よさ、また全般的な意味で善と呼ばれるからです。
しかし地獄の霊は自分自身のもとのすべてのものを、そのように善を悪の中へ、真理を虚偽の中へ、常に快さを持続しながら、逆にします。なぜなら、快さの持続なしに、彼らに意志はなく、感覚もなく、そのようにいのちがないからです。
これらから、地獄の快さが何か、またどんなものか、どこからか、なおまた天界の快さが何か、どんなものか、どこからであるか、明らかです」。
[7]これらを聞いて、第三の集団へ導かれた、そこに結果を調べる「知識」と呼ばれる者がいた。
これらの者は言った、「〝低い地〟へ下れ、そして〝高い地〟へ上れ。あなたは、前者の中で、地獄の霊の快感を、後者の中で天界の天使の快感を知覚し、感じる」。
しかし見よ、その時、隔たったところの地面が開き、裂け目から3人の悪魔が、彼らの愛の快さから燃え立って上った。新来の霊と仲間となった天使は、彼ら3人が、摂理から、地獄から上ったことを知覚したので、彼らに言った、「さらに近くに近づいてはなりません。しかしあなたがたがいるその場所から、あなたがたの快さについて何らかのものを語りなさい」。
彼らは言った、「善良な者あるいは悪い者であるそれぞれの者が、自分の快さの中にいること、善良な者は自分の善の快さの中に、悪い者は自分の悪の快さの中にいることを知るとよい」。
質問した、「あなたがたの快さは何ですか?」
彼らは言った、「淫行し、盗み、だまし、冒涜する快さである」。
再び質問した、「それらの快さはどんなものですか?」
彼らは言った、「他の者により、糞からの悪臭のように、死体からの腐臭のように、よどんだ尿からの臭いのように感じられる」。
質問した、「それらがあなたがたに快いものなのですか?」
言った、「極めて快いものである」。
言った、「その時、あなたがたは不潔な獣です、その獣はそれらの中で時を過ごします」。
答えた、「もし私たち〔がそのような者〕である〔と思う〕なら、私たち〔はそのような者〕である、しかしそのようなものが私たちの鼻を歓喜させるものである」。
[8]質問した、「もっと〔ほかに〕何が〔ありますか〕?」
「善い霊と天使を攻撃しないかぎり、それぞれの者が自分の快さの中に、さらにまた最も不潔なものと呼ぶようなものの中にいることが許されている」と言った。「しかし私たちの快さから、他の者を攻撃することしかできない、〔そうするとき〕私たちは強制収容所に中に投げ込まれ、そこで厳しいことを被る。そこに私たちの快さの抑制と引っ込めることがある、〔それは〕地獄の責め苦と呼ばれる。そしてまた内的な苦しみである」。
その時、質問した、「なぜ、あなたがたは善良な者を攻撃するのですか?」
「そのことしかできない」と言った。「ある天使を見るとき、彼らのまわりの神的なスフェアを感じるとき、〔彼らを〕襲う激怒のようなものがある」。
その時、言った、「このようにあなたがたもまた野獣のようです」。
彼らが天使とともに新来の霊を見るときすぐに、悪魔に激怒が出てきた、それは憎しみの火のように見えた。それゆえ、害を加えないように、地獄へ投げ返された。
この後、目的から原因を見、原因を通して結果を見た天使たちが現われた、それらの者はそれらの三つの集団の上方の天界にいた。これらの者は白く輝く光の中で見られた。その光は曲がったらせん形を通って転がり落ち——〔天使が〕円形の花冠を持ってきて、新来の霊の頭の上に置いた。その時、彼にここ〔天界〕から声があった、「あなたは子供時代から天界と地獄について熟考したので、その理由のために、この月桂冠があなたに与えられる」。