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結婚愛 487

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487 (7) これらの者により行なわれた姦淫は穏やかである
このことは前述のことから(486番)、さらなる確証なしに明らかです。というのは、すべての行為の性質は、一般に、すべての事柄の性質は、事情に依存していて、これらが和らげ、重くすることがよく知られているからです――しかし、この段階の姦淫は、行なわれる最初の時に穏やかです。そしてまた、彼または彼女が続く人生行路の中で、神に反する悪であるので、あるいは隣人に反する悪であるので、あるいは市民の善に反する悪であるので、またそれらを理性に反する悪であるという理由のために、それらを断つかぎり、穏やかなものにとどまります。けれども逆に、話しに出された理由からの一つのために、もしそれらを断たないなら、それらは重いものの間にもまた数えられます。そのように、神的な律法にしたがっています(エゼキエル18:21, 22, 24、また他の箇所に)――けれども、それらの事情から、穏やかなものまたはきびしいものとして、人間により弁解されることや批難されること、または属性づけられることや裁かれることはできません、彼の前に見られない、それどころか彼の判断の中にもないからです。それゆえ、死後に、そのように見なされ、そして転嫁されることが意味されます。