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結婚愛 488

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488 (8) 第二段階の姦淫は情欲の姦淫であり、それは確かに理解力に諮ることができる、しかし、それらの瞬間の偶発的な原因のために諮ることができない者により行なわれる
 自然的なものから霊的なものになる人間のもとで、最初に、互いに争う二つのものがあります、それらは一般的に霊と肉と呼ばれます。結婚愛は霊のものであり、姦淫愛は肉のものであるので、その時、それらの間に闘争もまた生じます――もし結婚愛が勝つなら、その姦淫愛を支配し、征服し、そのことは距離を置くことによって行なわれます。しかし、もし霊が理性から抑えることができる以上にこれを越えて、情熱の中で肉の情欲がかきたてられることが起こるなら、状態はひっくり返され、そして情欲の熱情が霊を誘惑で、もはや自分の理性で抑えることができないようにまでも圧倒し、ここから自分の責任があります――このことが第二段階の姦淫によって意味され、それは確かに理解力に諮ることができます、しかし瞬間の偶発的な原因のためにそれらに諮ることができない者により行なわれます。
[2]しかし、例で説明します――例えば、もし淫婦の妻が狡猾に男の心(アニムス)を捕え、寝室に引き入れて、判断で逃げることができないまでも興奮させるなら。さらにまた、もしその時もまた、恥辱を批難するなら、もし、同意しないなら――同じく、もし淫婦の何らかの妻が、肉の興奮が理性の理解力の自由を取り去るような策略(妖術)を、または薬物(魔術)で男を刺激する(燃え立たせる)ことを知っているなら――同様に、もし男が誘惑物の心地よいもので、他の者の妻を、その意志を燃え立たせるまでも引き寄せ、もはや彼女に〔自制する〕力がないなら。ほかにも他の同様のものがあります。
 これらや同様の偶発的なものが姦淫の重大さを和らげ、そして、迷わした男または迷わした女のために、その侮辱の属性の割り当てを穏やかな部分へと向きを変えることは、理性により賛同され、支持されます。
 この段階の姦淫の転嫁について〔次に〕続けます。