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結婚愛 489

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489 (9) これらの者により行なわれた姦淫は、その後、理解力によりそれらが賛同されるかあるいは賛同されないことに応じて、罪を帰すことができる
 理解力により悪が賛同されればされるほど、それだけ人間はそれを自分自身に所有し、そして自分のものにします。賛同は承諾であり、そして承諾は心にそれらへの愛の状態をひき起こします――姦淫も同様です、それらは最初、理解力の承諾なしに行なわれ、賛同されます。その後、もし賛同されないなら、正反対のものが生じます。その理由は、盲目の理解力の中で行なわれる悪または姦淫は、身体の欲望から行なわれ、それは類似性では、獣のもとにあるような本能へ近づくからです――〔悪または姦淫が〕行なわれる時、人間のもとに、確かに、理解力がありますが、受動的なまたは死んだ力の中にあり、能動的なまたは生きている力の中にはありません。
 これらから、その後、賛同されないかぎり、このようなものが転嫁されない、あるいは、賛同されないことがそれ自体からいえます。
 転嫁によって、死後のこの告発、またここからの裁判が意味され、それは人間の霊の状態にしたがって生じます――けれども、人間による裁判官の前での譴責は意味されません。これは彼の霊の状態にしたがって行なわれません、しかし、行為の中の身体の状態にしたがって行なわれます。これらが相違しないなら、世で赦された者は死後も赦され、そこで断罪された者は、〔ここでも〕有罪とされ、このように後者に救いの何らかの希望はないでしょう。