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結婚愛 491

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491 (11) これらの者により行なわれた姦淫は、確信にしたがって、きびしい
 理解力だけが確信し、確信するとき、意志を結びつけ、それ自体のまわりに置き、このようにその意志を役立つことへ向けて促します――確信は誤まった推論によって行なわれ、それは心を、あるいはその高い領域から、あるいは低い領域から捕えます。もし天界と伝達している高い領域からなら、結婚を確信し、姦淫を断罪します。しかし、もし世と伝達している低い領域からなら、姦淫を確信し、結婚を見下します。
 だれもが善と等しく悪を、同様に虚偽と真理を確信することができます、悪の確信は善の確信よりもさらに楽しく知覚され、そして虚偽の確信は真理の確信よりもさらに輝いて見えます――その理由は、悪と虚偽の確信が、身体の感覚の快さ・欲望・外観・欺きからその誤まった推論を得ている、しかし、善と真理の確信は、身体の感覚的なものの上の領域からその論拠を得ているからです。
 さて、悪と虚偽は善と真理のように等しく確信されることができます、確信している理解力は意志を自分の側に引き寄せ、そして理解力と一緒の意志は心を形作るので、人間の心の形は確信にしたがっていて、もしその確信が結婚のためになら天界へ向けられた形です、しかし、もし姦淫のためになら地獄へ向けられた形です。人間の心の形がどんなものかによって、彼の霊はそのようなものであり、したがって人間はこのようなものです。
 そこでこれらから、この段階の姦淫は、死後、確信にしたがって転嫁されることが明らかです。