カテゴリー

結婚愛 492

491◀︎目次▶︎493

492 (12) 第四段階の姦淫は意志の姦淫であり、それらについて理解力に諮るに値いするほどのものではなく、それを許されたものや喜ばしいものとする者により行なわれる
 これらの姦淫は、それらの起源により前のものから区別されます――これらの姦淫の起源は人間に生来の邪悪な意志から、すなわち、遺伝の悪からです、それに人間は、自分の判断で行なわれた後、それらについて、悪かあるいは悪でないか判断することが何もなく、盲目的に従っています。それゆえ、それらについて理解力に諮るに値いするほどには重要視していないことが言われます――けれども、理性〔から〕の姦淫と呼ばれる姦淫の起源は、ゆがんだ理解力からであり、罪の悪でないことを確信する者により行なわれます。前者のもとで意志が、後者のもとで理解力が第一人者を演じます。
 これら二つの違いは、自然界で何も人間に見られません、しかし霊界で天使たちに明らかに見られます。この世界で、全般的に、すべての者は悪にしたがって区別されています、それは起源的に意志からあるいは理解力からわき出て、受け入れられ、自分のものとされます。さらにまたそれらにしたがって地獄の中で分離されます。地獄の中で、理解力から悪い者は、前部に住み、サタンと呼ばれます。けれども、意志から悪い者は、さらに後ろに住み、悪魔と呼ばれます――この全般的な相違のために、みことばの中で「サタン」と「悪魔」と呼ばれています。
 サタンと呼ばれる悪い者そしてまた姦淫者のもとで、理解力が第一人者を演じます。しかし、悪魔と呼ばれる者のもとで意志が第一人者を演じます。
 しかし、理解力がそれを見るようにまでも違いを示すことは、意志と理解力の相違が前もって知られ、そしてまた理解力によって意志からの心の形成が、そして意志によって理解力からその心の形成が述べられないなら、与えられることができません。前に言われた違いが理性から見られるために、これらの知識に光が投げ掛けられなければなりません――しかし、このことは数ページの著作〔が必要〕です。