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結婚愛 495

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495 (15) 意志の意図からの姦淫と理解力の確信からの姦淫は、人間を自然的・感覚的・身体的にする
人間の心が天界と同数の三つの領域に分けられていることによって、人間は人間であり、獣から区別されます。下の領域からさらに上の領域に、またこれから最も上の領域に上げられ、このように、一つの天界の天使に、そしてまた第三の天界の天使なることができることです。その目的のために、人間に理解力が、そこまでも高揚させる能力が与えられています。けれども、もし彼の意志の愛が同時に上げられ、霊的なものにならないなら、自然的なものにとどまります。それでもなお、理解力を高揚させる能力を保持します。
保持する理由は、改心することができるためです、なぜなら、理解力によって改心するからです、それは善と真理の認識によって、それらからの理性的な熟慮によって生じます。もし理性的にそれらの認識によって熟考され、そしてそれらにしたがって生活するなら、その時、意志の愛は一緒に高揚され、その程度の段階に人間性が完成され、そして人間はますます人間になります。
[2]もし善と真理の認識(知識)にしたがって生きないなら、異なって生じます。その時、彼の意志の愛は自然的なものにとどまり、そして彼の理解力は交互に霊的なものになります。というのは、それ自体をワシのように交替に持ち上げ、その愛の下に何があるか見おろし、それを見るとき、これに向って飛び降り、これと結合するからです。そこで、もし肉の情欲が彼の愛のものであるなら、高いところからこれらへ、それらとの結合の中へ降り、それらの快さから、楽しみ、そして再び、賢明な者であると信じられる名声への追求のために、今しがた言われたように、このように交互に跳んで、高い所へ上がります。
[3]意志の意図から、また理解力の確信から自分自身に姦淫者とした者である第三と第四段階の姦淫者は、まったく自然的であり、段々と感覚的にまた身体的〔形体的〕になります。自分の意志の愛と、一緒にその時、理解力を淫行愛の不潔なものに浸し、不潔な鳥と獣が、腐ったものと糞から、おいしいものと美味のようにこれらで楽しむからです。なぜなら、心の住居に吸い込まれるそれらの肉からの臭気の発散物は、そのかすで満たし、意志が何らかのおいしいものと望ましいものを感じないようにするからです――これらの者が、死後、身体的な霊になる者であり、それらの者から地獄や教会の不潔なものがわき出ます(それらについては前の430, 431番)。