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結婚愛 500

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43 姦淫者が批難した3人の聖職者について

500 (これらに私は次のメモラビリアを加えます——)
かつて、霊たちの世界で私は大きな騒動を聞いた。数千の者が集まっていて、その者たちは叫んだ、「罰せられるべきだ、罰せられるべきだ」。
私は近づいて、「これは何ですか?」と質問した。
その大きな群れからのひとりが私に、「三人の聖職者に対して怒り、憤っている。その者たちは歩きまわり、そのどこでも、『姦淫者が神を認めることはない、彼らに天界は閉ざされ、地獄が開かれている。地獄に不潔な悪魔がいて、遠方からはそこに糞の中を転がりまわるブタのように見られ、天界の天使は彼らを忌み嫌う』と言って、姦淫に反対して説教している」と言った。
私は質問した、「それらの聖職者はどこにいますか? このために、なぜこれらの叫びがあるのですか?」
彼らは答えた、「それらの三人の聖職者は従者により守られて彼らの真ん中にいる。集まっている者は、姦淫が罪でないことを信じている者たちからであり、その者は、自分の妻にしがみつく者と等しく姦淫者も神を認めている、と言っている——彼らのすべての者はキリスト教世界からである。天使により、姦淫が罪であることを信じる者がどれだけそこにいたか視察され、千人のうち百人も見つけられなかった」。
[2]また、私に、彼らのうちの九百人が姦淫について次のように話している、と言った。
「だれが、姦淫の快さが結婚の快さよりも卓越していることを知らないか。姦淫者は永続する熱の中にいる、ここからひとりの女とだけ生活する者よりも活発な・勤勉な・活動的な生活の中にいる。また、逆に、配偶者との愛は冷たくなる、時々、彼女と話し、交わす一つの言葉も最後には、ほとんど生きていないようにも冷たくなる。娼婦となら異なる。〔性的〕能力の欠如から起こる妻との生活の壊死は、淫行によって回復され、活気づけられないか? 回復し、活気づけるものは、壊死するものよりもまさるのではないのか? 結婚は許された淫行でないなら何か? だれが違いを知っているのか? 愛は強制されることができるのか? それでも、妻との愛は約束や法律によって強制されている。配偶者との愛は性愛ではないのか? この性愛は、鳥や獣のもとにもあるように、これほどに普遍的である。結婚愛は性愛でないなら何か? すべての女と性愛は自由である。
市民の法律が姦淫に反しているのは、法律の制定者がそれが公共に善であることを信じているからである、それでも制定者や裁判官自身が、時々、姦通し、自分たちの間で、『罪のない者が、最初に石を投げよ』と言っている——単純な者と宗教的な者だけが姦淫が罪であることを信じていて、そのように知性的な者は、私たちのようにそれを自然の光から熟慮している者は信じていない。
[3]結婚からのように、姦淫からも等しく子が生まれないか? 私生児は適法の者のように、等しく職務や奉仕に向けて適し、有用でないのか? そして、そうでなければ、子がいない者にもまた家族が備えられる——このことは害でなく、利益ではないのか? もし妻が多くの競争相手を許しても何が〔妻を〕傷つけるのか? 何が男を傷つけるのか? 男に恥辱であることは、想像力からのくだらない見解である。
姦淫が教会の法と規定に反していることは、聖職者の教団からの支配力のためのものである。しかし神学と霊的なものが単なる形体的なものと肉欲のものと何〔の関係〕があるのか? 長老や修道士にそのような者が存在しないか? 彼らはこのために神を認めることと礼拝することができないのか? そこで、なぜ、それらの三人は、姦淫者に神を認めることがない、と説教するのか? このような冒涜を、私たちは許さない。それゆえ、裁かれ、罰せられるべきだ」。
[4]この後、私は、彼らが裁判官を呼び、彼らに罰を課するよう裁判官たちに懇願するのを見た。
しかし裁判官たちは言った、「このことは私たちの職務ではない、なぜなら、神を認めることについて、罪について、またこのように救いと断罪について扱われているからである。これらについては天界から裁かれる——しかし私たちは、それら3人の聖職者が真理を説教したかどうか、どのようにあなたがたが知ることができるか、助言を与える——私たち裁判官が知っている三つの場所があり、そこではこのようなことが特別な方法で調べられ、示される。
一つは、そこではすべての者に天界への道がはっきりと見える、しかし天界へやって来る時、自分たち自身が、神を認めることに関してどんなものであるか知覚する。第二の場所は、そこでもまた天界への道がはっきりと見える、しかし天界を自分自身の中に持つ者でないなら、その道へだれも入ることができない。第三の場所は、そこに地獄への道があり、その道へ自発的に入る、地獄を愛する者が快さから入るからである——私たち裁判官はその場所へ天界と地獄について審判を私たちから求めるすべての者を送り出す」。
[5]これらを聞いて、集まった者たちは言った、「私たちはその場所へ行こう」。
そこのすべての者に天界への道がはっきりと見える第一の場所へ行ったとき、突然、暗黒が生じた。それゆえ、彼らからのある者は、たいまつをともし、前へかざした。
彼らとともに裁判官は言った、「このことは最初の場所に行くすべての者に生じる、しかし、近づくほど、たいまつの火はさらに弱くなり、天界の光が流入する場所で消える、それは、そこにいることのしるしである。その理由は、最初に彼らに天界が閉ざされ、その後、開かれるからである」。
その場所の中にやって来た、また、たいまつはそれ自体から消えて、彼らは天界へ斜めに伸びる道を見た——それへ聖職者に対して怒りの憤りの中にいた者が入った。最初の者の間に意図から姦淫者であった者が、彼らの後に、確信から姦淫者であった者がいた——上っている中で、最初の者たちは叫んだ、「続け」。続く者たちは叫んだ、「急げ」、また追い立てた。
[6]しばらくして、すべての者が天界の社会の中にいたとき、彼らの間と天使たちの間に裂け目が現われ、その裂け目の上を、目の中に流入する天界の光が彼らの心の内的なものを開き、そこから内的に考えたように話すことが強いられた——その時、天使たちにより、神が存在することを認めたかどうか質問された。
意志の意図から姦淫者であった最初の者たちが、「神とは何か?」と答えた。また、互いに熟視し、「あなたがたのだれがその方を見たのか?」と言った。
理解力の確信から姦淫者であった第二の者たちが、「すべてのものは自然のものではないのか? その〔自然界の〕上に太陽でないなら何があるのか?」と言った。
その時、天使たちは彼らに言った、「私たちの場所から、今、あなたがたに神を認めることがないことを自分自身で知覚して、降りなさい。あなたがたが降りる時、あなたがたの心の内的なものが閉ざされ、その外的なものが開かれます。その時、あなたがたは内的なものに反して話し、神が存在する、と言うことができます。人間は実際に姦淫者になるとすぐに、彼に天界が閉ざされ、それが閉ざされると、神は認められないことを信じなさい——理由を聞きなさい。姦淫から地獄のすべての不潔なものがあり、これが天界では街路の腐った汚物のように悪臭を放ちます」。
これらを聞いて、互いに向きを変え、三つの道を通って降りた——下方に着いたとき、最初の者と第二の者は自分たちの間で会話して言った、「そこでは聖職者が勝った。しかし私たちは、私たちが彼らと等しく神について話すことができることを知っている。〔神が〕存在することを話すとき、私たちはその方を認めないか? 心の内的なものと外的なものは、それらについて天使たちが語ったが、作り事である。
しかし裁判官により指定された第二の場所へ出発しよう、そこでは天界への道が自分自身の中に天界を持っている者に明らかであり、そのようにその者は天界へ行くことになる」。
[7]彼らが近づいたとき、その天界から声が発した、「門を閉ざせ、姦淫者たちが近くにいる」。急に門が閉ざされ、見張りが手にした棒を持って彼らを追い払った。彼らに対して騒いだ3人の聖職者を、見張りが連れ出し、天界へ導き入れた——聖職者のために門が開かれたとき、直ちに、天界から結婚の快さが反逆者に吹き付け、それは貞潔なものと純粋なものであり、彼らをほとんど気絶させた。
それゆえ、窒息からの気絶を恐れて、第三の場所へ急いだ、それについて裁判官は、ここから地獄へ向かう道があることを言った。その時、ここから姦淫の快さが吐き出て、そのことから、意図からまた確信から姦淫者であった者は、あたかも踊るかのように降り、自分自身をブタのようにそこの不潔なもので浸し、このように彼らは生きいき〔としたもの〕となった。