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結婚愛 511

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(二十三)強姦への情欲について

511 強姦への情欲によって処女凌辱の情欲は意味されません。この情欲は処女性の強姦ですが、同意なしで行なわれる時の処女への強姦ではありません。しかし、ここに扱われる強姦への情欲は、同意から引き下がり、不同意から強くされるものです。まったく拒絶し、激しく抵抗する女を、あるいは処女、あるいはやもめ、あるいは妻を、だれでも強姦する情熱です――略奪品や捕獲物を喜び、贈り物や正当に得たものを喜ばない盗賊や海賊のようです。許されないものや禁じられたものをほしがり、許されたものや与えられたものをけとばす、悪を行なう者のようです。
これらの強姦者は同意をまったく嫌悪し、反抗から燃え上がります。もしその反抗が内なるものでないと気づくなら、直ちに、彼らの情欲の情熱は、水を投げかけられた火のように、消されます。
妻は愛の最終的な結果に関して、自分の自発的なものから自分の夫の自由選択に服従させないこと、また思慮分別から強姦に向かうかのように抵抗することがよく知られています、常に許されたものからの通常のものから、そしてまたそれらについて好色な考えから起こる夫の冷淡が取り除かれるようにとの目的のためです――これらの反抗は、たとえ火をつけても、それでも原因ではありません、しかし単にこの情欲の始まりです――その理由は、実行を通して衰えた後に、結婚愛そしてまた淫行愛は、回復されるために、徹底的な反抗によって燃え立たされることを欲することです。
そのように始まったこの情欲は、その後に増大し、増大するほど、性愛のすべての限界を軽蔑し、破り、それ自体を追い出し、肉体的なまた肉欲的な好色な愛により軟骨のものや骨のものになり、その時、鋭い感覚を授けられている骨膜から、鋭いものになります。
しかしそれでも、この情欲はまれです、結婚に入り、その時、それでも衰弱したものになった時に淫行を実行する者のもとでないなら存在しないからです。
この情欲の自然的な原因のほかに、霊的な原因もまた存在し、それについて何らかのものを続きの中で〔述べます〕。