カテゴリー

結婚愛 527

526◀︎目次▶︎528

527 (4) それぞれの者の悪が彼の意志がどんなものかにしたがって、彼の理解力がどんなものかにしたがって転嫁される
  人間のいのちをつくる二つもの、意志と理解力があることがよく知られています。人間により行なわれるすべてのものは、彼の意志から、また理解力から行なわれます。これらなしに、機械によるようなもの以外に、人間に活動も話すこともなかったでしょう――ここから、人間は、彼の意志と理解力がどんなものであるかによることが明らかです。なおまた、人間の活動は本質的に、それを生み出している彼の意志の情愛がどのようなものであるかによります。人間の話すことは本質的に、それを生み出している彼の理解力の思考がどのようなものであるかによります。それゆえ、多くの人間は同様に行動することと話すことができます、それでも異なっていて、ある者は悪い意志と思考から、ある者は正しい意志と思考から行動し、話します。
[2]これらから、行為または働きにしたがってそれぞれの者が裁かれるそれらのものによって何が意味されるか、もちろん、それは意志と理解力であることが明らかです。したがって、悪の働きによって、どんなものが外なるものの中で見られても、悪の意志の働きが意味されます。また、善の働きによって、たとえ外なるものの中で、悪の人間からの働きと似たものに見えても善の意志の働きが意味されます。
 人間の内的な意志から行なわれるすべてのものは、意図から行なわれます、その意志がその意図が行なうものをそれ自体に示すからです。理解力から行なわれるすべてのものは、確信したものから行なわれます、理解力が確信するからです――これらから、それらの働きの中の彼の意志がどんなものかにしたがって、またそれら確信したものについて彼の理解力がどんなものかにしたがって、それぞれの者に悪または善が転嫁されることを明らかにすることができます。
[3]このことを次のことによって確信することが許されています――

 霊界で、私は多くの者に出会った。ある者は自然界で他の者と同様に、豪華に自分を着飾って、ごちそうを食べ、利益とともに他の者のように商売し、劇場の演技を眺め、愛する者(恋人)について情欲からのように冗談を言って、ほかにも他の同様なものに生きた、それでも天使たちは、ある者にそれらを罪のある悪として罪を帰し、ある者にそれらを悪として罪を帰さなかった、前者を罪のある者、けれども、後者を罪がない者と宣言した。
 「同様のことを行なったのに、それでもそのようであるのはどうしてなのか」との質問に、答えた、「目標・意図・目的から、すべてのものが熟視され、それらにしたがって区別されます。それゆえ、彼らの目的によって彼らを許すかあるいは断罪します。彼ら自身が許し、または断罪する善の目的が天界のすべての者にあり、悪の目的が地獄のすべての者にあるからです」。