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結婚愛 528

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528 これらに次のことを加えます。
教会で、「だれも律法を満たすことができない、まして、十戒の一つの戒めに反して罪を犯す者は、すべてのものに反して罪を犯すので、さらにできない」と言われています――けれども、この決まり文句はそのように聞かれるものではありません。なぜなら、これは、意図または確信した心から一つの戒めに反して行なう者は、彼は残りのものに反して行なう、とこのように理解されなければならないからです。意図または確信した心から行なうことは、罪であることをまったく否定し、罪を否定する者は、もし残りの戒めに反して行動しても何でもないとすることであるからです。
姦淫者である者が、殺人者・泥棒・虚偽の証人でないゆえに、それらの者であることも欲しないことを、だれが知りませんか? しかし、意図と確信から姦淫者である者は、宗教のすべてのものを、そのように、殺人・盗み・虚偽の証言も何でもないとします。これらの者は罪であるので慎まないのではなく、法律と名声を恐れるので慎むのではありませんか?
意図と確信からの姦淫者は教会と宗教の聖なるものを何も評価しないことは、前に見られます(490–493番、また二つのメモラビリア500521, 522番)。
もしだれかが意図または確信から十戒の何らかの一つの戒めに反して行動するなら、残りのものに反して行動することも同様です、何らかの罪と見なさないからです。