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結婚愛 530

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530 (5) このようにそれぞれの者に淫行愛が転嫁される
 すなわち、〔転嫁は〕外なるものの中の人間の前に見られるような、それどころか裁判官の前に見られるような行為にしたがっていません、しかし、内なるものの中の主の前に、その方から天使たちの前に見られるようなものにしたがっています、それはそれらの中の意志の性質と理解力の性質にしたがっています。
 世に、罪悪を和らげ、許す、なおまた、重くし、批難するいろいろな事情が存在します。しかし、それでも、転嫁は、死後、行為の外なるものである事情にしたがって生じるのではありません、心(mens)の内なるものにしたがっています――これらはそれぞれの者のもとの教会の状態にしたがって考慮されます。例えば、意志そして理解力で不信心な人間は、その者に神への恐れがなく、隣人愛もなく、ここから教会の何らかの神聖なものに対する畏敬の念もありません。彼は、死後、身体で行なった罪のあるすべての罪悪を行ないます、その善行を思い出すことは生じません。彼の心は、その心からそれらの罪悪が泉からのようにわき出たので、天界から背き、地獄へ向けたからです、行動はそれぞれの者の心の住居の場所から流れ出ます。
[2]このことが理解されるために、私はアルカナを述べます。
 天界は無数の社会に分けられ、同様に、反対の位置に地獄が分けられています。人間のそれぞれの者の心は彼の意志とここからの理解力にしたがって、ある社会の中に実際に住んでいて、そこの彼らと同様に意図し、考えています。
 もし心が天界のある社会の中にあるなら、その時、そこの彼らと同様に意図し、考えています。もし〔心が〕地獄のある社会の中にあるなら、そこの彼らと同様に〔意図し、考えています〕――しかし、人間は世に生きるかぎり、それだけ長い間、ある社会から他の社会の中へ、自分の心の意志とここから理解力の情愛の変化にしたがって移住します。しかし、死後、彼の遍歴が集められ、一つに集められたものから、もし悪い者なら地獄の中に、もし善い者なら天界の中に、彼に場所が定められます。
[3]さて、地獄のすべての者に悪の意志があり、その意志からそこのすべての者が眺められ、天界のすべての者に善の意志があり、その意志からそこにすべての者が眺められます。それゆえ、それぞれの者の意志と理解力の性質にしたがって、死後、転嫁が生じます。
 同様のものが淫行に、あるいは私通に、あるいは愛人を持つこと、あるいはめかけ囲い、あるいは姦淫に生じます。それらは、行為にしたがわないで、しかし、行為の中の心の状態にしたがって、それぞれの者に転嫁されるからです。というのは、行為は身体に従って土まんじゅう(墓)の中へ〔入ります〕、しかし、心はよみがえるからです。