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続 霊界について 48

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(3)霊界のオランダ人について

48 前に、彼らのもとでみことばが読まれ、主が礼拝されるキリスト教徒は全霊界の国民と民族の真ん中にいることが言われました(20番)。その理由は、彼らのもとに最大の霊的な光があり、光はここから中心からかのように、すべての周辺の中に、最も遠く離れたところにまで広められ、そして照らすからであり、その光は『新しいエルサレムの教え 聖書について』の中で言われていることにしたがっています(104–113番)。
この真ん中に、改革派教会のキリスト教徒が、主からの霊的の受け入れにしたがって場所を割り当てられています。イギリス人はその光を自分自身のもとに知的な部分の中にたくわえて持っているので、それゆえ、その真ん中の最内部の中にいます。オランダ人はその光(ルークス)を自然に固有な光(ルーメン)に結合させて保つので、ここから彼らのもとに光の雪のような白さは見られず、その代わりに、透明でない何らかのものがあり、霊的な光から、同時に霊的な熱から推理力を受け取り、そのキリスト教徒の中央に、東と南の中に住居を得ています。霊的な熱を受け入れる能力から東の中にいて、その熱は彼らには仁愛です。霊的な光を受け入れる能力から南の中にいて、その光は彼らには信仰です。
[2]霊界の中の方位が自然界の中の方位のようではないこと、方位にしたがって住むことは信仰と愛の受け入れにしたがって住むことであること、また東に愛と仁愛でまさる者が、南に知性と信仰でまさる者がいることは、著作『天界と地獄』の中に見られます(141–153番)。
[3]〔彼らが〕中央のキリスト教徒のこれらの方位の中にいる理由は、彼らの目的の愛が商業であり、金銭は仕える中間の愛であり、その目的の愛は霊的であるからでもあります。しかし、そこに金銭が目的の愛であり、商業が仕える中間の愛であるとき、その目的の愛は自然的な愛であり、〔起源を〕貪欲から得ています。
前述の霊的な愛は本質的に眺められるとき公共の善であり、その中に、それからの祖国の善があり、オランダ人は他の者よりもその愛の中にいます。