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主について 8

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(2) 主が律法のすべてのものを成就されたとは、 主がみことばのすべてのものを成就されたことである

8 今日、主について律法を成就されたことが言われていることは、〔主が〕十戒のすべての戒めを成就されたこと、またこのように義とされ、そして世の人間もまた〔その〕信仰によって義とされたことである、と多くの者により信じられています。
しかしながら、それは意味されません。そうではなくて、前の章で言われたように、聖書はその方だけを扱っているので、その方について「律法と預言者」の中に、すなわち、聖書の全体の中に書かれているすべてを成就されたことが意味されます。
多くの者が〔これと〕異なって信じた理由は、聖書が調べられず、何が「律法」によってそこに意味されるか知らなかったからです。
「律法」によってそこに次ぎのものが意味されています、

(1) 狭い意味で、十戒の十の戒め
(2) 広い意味で、モーセによりその五書に書かれているすべてのもの
(3) 最も広い意味で、みことばのすべてのもの

(1) 狭い意味で、「律法」によって、十戒の十の戒めが意味されている
このことは、よく知られています。