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主について29

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(7)主はご自分の中の神性からご自分の人間性を神的なものにされ、 このように父と一つのものとなられた

29 「教会の教え」から〔次のものが〕全キリスト教界で受け入れられました、

私たちの主イエス・キリスト、神の子は、神でありまた人である。神と人であるとはいえ、それでも二つではなく、一つのキリストである。神性をご自分の人間性にまとわれたので、一つである。それどころか、完全に一つである、というのは、一つの位格(ペルソナ)であり、霊魂と身体が一つの人間をつくるように、そのように神と人は一つのキリストであるから。

これらの言葉は、全キリスト教界に受け入れられているアタナシウスの信仰の教え〔信条〕から取られました。
これらは主の中の神性と人間性の結合についてそこの本質的な部分です。主について同じ教えの中で言われている他のものは、〔今後〕その章の中で説明します〔第11章〕。
これらから、主の中の神性と人間性が、霊魂と身体が一つの人間であるように二つでなく一つであること、またその方の中の神性が人間性をまとったことはキリスト教会の信仰からであることが、はっきりと明らかです。
[2]このことから、神性は人間性から、人間性も神性から分離されることができないことがいえます。なぜなら、それらを分離することは、霊魂と身体を分離することのようになるからです。
そのようであることは、前の(19番と21番)二つの「福音書」から(すなわち、「ルカ」1・26―35また「マタイ」1・18―25)、主の出生について示されたものを読むすべての者にも承認されています。それらから、イエスは神エホバからみごもり、処女マリアから生まれたこと、そのように、その方の中に神性があり、それがその方の霊魂であったことが明らかにされています。
そこで、その方の霊魂が父の神性そのものであったので、その方の身体すなわち人間性もまた神的なものにされたことがいえます。なぜなら、一つのものがあるところに、さらにまたもう一つのものがなくてはならないからです——そのように、異なることもなく、主ご自身が自分のみことばの中で教えられているように、父と子は一つであり、父は子の中にまた子は父の中に、なおまた、子のすべてのものは父のものであり、父のすべてのものは子のものです。
[3]しかしどのように結合がなされたか、次の順序で述べます——

(1) 永遠からの主はエホバであられる。
(2) 永遠からの主すなわちエホバは、すべての者を救うために人間性をまとわれた。
(3) ご自分の中の神性から人間性を神的なものにされた。
(4) ご自分に許した試練によって人間性を神的なものにされた。
(5) ご自分の中の神性と人間性の完全な結合は、最後の試練であった十字架の受難によってなされた。
(6)母から受けた人間性を連続的に脱ぎ捨て、神的人間性であり、神の子である神性からの人間性をご 自分に着せられた。
(7) このように神は最初のものの中のように最後のものの中でもまた人となられた。