カテゴリー

主について32

31◀︎目次▶︎33

32 (3) 主はご自分の中の神性からご自分の人間性を神的なものにされた
このことは、みことばからの多くの箇所から明らかにすることができます。今から、それらを確信させる箇所を示します——
(1) これを継続的に行なわれた、このことはこれらです——

 イエスは、「成長し、霊と知恵で強くなった。神の恵みがその方の上にあった」(ルカ2・40)。
 イエスは、知恵と年齢を、また神と人間のもとで恵みを、示した(52節)。

[2](2) 霊魂が身体を通してのように神性が人間性を通して働いた、このことはこれらから——

 父がしておられる〔ことを〕見るのでないなら、子は自分自身から何もすることができません(ヨハネ5・19)。
 自分自身からわたしは何もしません、しかしわたしの父がわたしに教えられたように、これらをわたしは話します。……わたしを遣わした者は、わたしとともにいて、わたしだけを残されません(ヨハネ8・28、29、5・30)。
 わたしは、わたし自身から話しません、しかしわたしを遣わされた方、わたしに命令を与えられた父が……わたしが何を教え、何を話さなくてはならないか〔話します〕(ヨハネ12・49、50)。
 わたしがあなたがたに話すことばは、わたし自身から話しているのではありません。……わたしの中にとどまられる父が、働きを行なわれます(ヨハネ14・10)。
 わたしはひとりではありません、父がわたしとともに〔おられる〕からです(ヨハネ16・32)。

[3](3) 神性と人間性が一致して働いた、このことはこれらから——

 父が行なわれことを、これらを子もまた同様に行なう(ヨハネ5・19)。
 父が死者を起こし、生かされるように、そのように子もまた、望む者を生かす(ヨハネ5・21)。
 父がご自分自身の中にいのちを持たれるように、そのように〔父は〕子にもまた、自分自身の中にいのちを持つよう与えられた(ヨハネ5・26)。
 今や、彼らは、あなたがわたしに与えたすべてのものが、あなたからであることを知っています(ヨハネ17・7)。

[4](4) 神性が人間性に、人間性が神性に結合した、このことはこれらから——

 「あなたがたが、もしわたしを知っていたなら、わたしの父もまた知ったはずです……あなたがたはその方を見ました」。父を見ることを欲したピリポに言われた、「これほどの時間、わたしはあなたがたといます。ピリポよ、あなたはわたしを知らなかったのですか?わたしを見た者は、父を見たのです……あなたは信じないのですか?わたしが父の中に、また父がわたしの中にいることを。……わたしを信じなさい、わたしが父の中にまた父がわたしの中にいることを」(ヨハネ14・6―11)。
 もしわたしがわたしの父の働きを行なっていないなら、わたしを信じないでいなさい。もし……わたしが行なっているなら……働きを信じなさい。父がわたしの中に、わたしが父の中に〔いる〕ことを、あなたがたが知り、信じるためです(ヨハネ10・37、38)。
 あなたが、父よ、わたしの中に、わたしがあなたの中に〔おられる〕ように、すべての者がひとつであるために(ヨハネ17・21)。
 その日に、あなたがたは、わたしがわたしの父の中に〔いる〕ことを知ります(ヨハネ14・20)。
 羊を「だれも、わたしの父の手から奪えません。わたしと父はひとつです」(ヨハネ10・ 29、30)。
 父は子を愛しておられ、すべてのものをその方の手の中に与えられた(ヨハネ3・35)。
 父が持たれるどんなものでもすべてのものは、わたしものです(ヨハネ16・15)。
 わたしのすべてのものはあなたのもの、あなたのものはわたしのものです(ヨハネ17・10)。
 子に「あなたは、すべての肉の権力を与えられました」(ヨハネ17・2)。
 天と地の上で、わたしにすべての権力が与えられています(マタイ28・18)。

[5](5) 神的人間性に近づくべきである、このことはこれらから明らかです——

 すべての者が父を尊ぶように子を尊ぶためです(ヨハネ5・23)。
 もしあなたがたがわたしを知っていたなら、あなたがたはわたしの父もまた知っていたでしょう(ヨハネ8・19)。
 わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見ます(ヨハネ12・45)。
 あなたがたが、もしわたしを知っていたなら、わたしの父もまた知っていたはずです。今から、あなたがたはその方を知り、その方を見ます(ヨハネ14・7)。
 わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れます(ヨハネ13・20)。

その理由は、父と呼ばれる神性そのものを、だれも見ることができないで、神的人間性を見ることができるからです。
 主もまた言われました、

 かつてだれも神を見ていない。父のふところの中にいるひとり子が、その方を説明した(ヨハネ1・18)。
 父のもとにいる者でないなら、だれも父を見ていません。この者が父を見たのです(ヨハネ6・46)。
 父の「声をかつてあなたがたは聞いていません、その方の姿を見てもいません」(ヨハネ5・37)。

[6](6) 主はご自分の人間性をご自分の中の神性から神的なものにされたので、またこれは神の子であり、それに近づくべきであるので、それゆえ、父と子とである主を信じるべきである、このことはこれらから明らかです——

 イエスは言われた、「その方を受け入れたと同数の者、その方の名前を信じた者に神の子になる権限を与えた」(ヨハネ1・12)。
 その方を信じたすべての者が滅びないで、永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3・15)。
 自分のひとり子を与えたように、これほどに、神は世を愛された。その方を信じるすべての者が……永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3・16)。
 子を信じる者はさばかれない。けれども、信じない者は、神のひとり子を信じなかったのですでにさばかれている(ヨハネ3・18)。
 子を信じる者は永遠のいのちを持つ。けれども、子を信じない者は、いのちを見ないで、神の怒りが彼の上にとどまる(ヨハネ3・36)。
 神のパンは天から下って来て、世にいのちを与えます。……わたしにやって来る者は、飢えません、わたしを信じる者は、決して渇きを感じません(ヨハネ6・33、35)。
 これがわたしを遣わした方のみこころです。子を見て、その方を信じるすべての者が永遠のいのちを持つように、その者をわたしは最後の日によみがえらせます(ヨハネ6・40)。
 彼らはイエスに言った。「私たちが神のわざを働くために、何を私たちは行なうべきでしょうか?」 イエスは答えられた……「あなたがたが神が遣わした者を信じること、これが神のわざです」(ヨハネ6・28、29)。
 まことに、わたしはあなたがたに言います。わたしを信じる者は永遠のいのちを持ちます(ヨハネ6・47)。
 イエスは叫んで、言われた。「もしだれかが渇くなら、わたしにやって来て、飲みなさい——わたしを信じる者はだれでも、聖書が言っているように、彼の腹から生きる水の川が流れ出ます」(ヨハネ7・37、38)。
 わたしがわたしであることを、あなたがたが信じないなら、あなたがたはあなたがたの罪の中で死にます(ヨハネ8・24)。
 イエスは言われた。「わたしはよみがえりであり、いのちです。わたしを信じる者は、たとえ死んでも、生きます。生き、わたしを信じるすべての者は、永久に死にません」(ヨハネ11・25、26)。
 イエスは言われた。「わたし、光は世にやって来ました。わたしを信じるすべての者が暗やみの中にとどまらないためです」(ヨハネ12・46、8・12)。
あなたがたが光を持つ間に、あなたがたが光の子であるために、光を信じなさい(ヨハネ12・36)。
 まことに、わたしはあなたがたに言います。死者が神の子の声を聞きます……聞く者は生きます(ヨハネ5・25)。
 わたしの中にとどまりなさい、わたしもまたあなたがたの中に〔とどまります〕。わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。わたしの中に、わたしが彼の中にとどまる者は、多くの実をもたらします。わたしなしに、あなたがたは何も行なうことができないからです(ヨハネ15・1―5)。
彼らが主の中に、また主が彼らの中にとどまること(ヨハネ14・20、17・23)。
 わたしは、道、真理、いのちです。わたしを通してでないなら、だれも父へやって来ません(ヨハネ14・6)。

[7]これらの箇所の中で、また父が名前を挙げられている他のすべての〔箇所の〕中で、受胎から主の中にあった神性が意味されます。キリスト教界の信仰の教えにしたがって、そのことは人間のもとの身体の中の霊魂のようでした。
この神性からの人間性そのものが神の子です。
さて、これもまた神性となったので、人間が父だけに近づき、そのことによって、思考・信仰の中で、ここから礼拝の中で、主から父(主はその方の中におられます)を分離しないように、それゆえ、主が、父とその方は一つであること、父はその方の中に、その方は父の中にいること、その方の中にとどまらなくてはならないこと、父へその方を通してでないならだれもやって来ないことを教えた後、さらにまた、その方を信じなければならないこと、人間はその方へのまっすぐな信仰から救われることを教えられました。
[8]主の中の人間性が神性にされたことの何らかの観念は、キリスト教の中の多くの者に把握されることができません。特に、人間について、その身体の霊的なものからでなく物質的なものから考える理由からです。そのとき、それでも、霊的であるすべての天使は、さらにまた完全な形の人間です。また、神エホバから発出するすべての神性は、天界の中のその最初のものから、世の中のその最後のものまで、人間の形へ向かいます。
天使が人間の形であること、すべての神性が人間の形へ向かうことは、著作『天界と地獄』(73―77番と453―460番)にあります。そしてさらに主について天使の知恵からのものである続く著作の中で十分に見られます。