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主について62

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(12)「黙示録」の中の「新しいエルサレム」によって新しい教会が意味される

62 「黙示録」の中で、キリスト教会の状態がその終わりの中でどのようになるか、また今どんなであるか述べられた後に、またその教会から「偽預言者」「竜」「淫婦」によって、「獣」によって意味される者が地獄へ投げ込まれた後に、このように「最後の審判」が行なわれた後に、そこに言われています、

 私は新しい天と新しい地を見た、以前の天は、以前の地は過ぎ去ったからである……。その時、私、ヨハネは聖なる都を……神から天から下って来るエルサレムを見た。また私は、天から大きな声が言っているのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人ともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、彼らの神ご自身は彼らとともにいる」。……王座の上に座っている方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする」。また私に言われた。「書け、これらのことばは真実と忠実であるからである」(黙示録21・1―3、5)。

以前の天と以前の地が過ぎ去った後に見た「新しい天」と「新しい地」によって、人間の目の前に見られる星座と大気の新しい天も人間が住む新しい地も意味されません。しかし霊界の中の教会の新しいものと自然界の中の教会の新しいものが意味されます。
[2]霊的なものも自然的なものも、両方の世界の中の教会の新しいものが、世にいたときの主によりつくられたので、それゆえ、似たものが「預言書」に予言されました。すなわち、新しい天界と新しい地が、その時、存在するようになることです(例えば、イザヤ65・17、66・22、また他の箇所に)。そこで、それらによって目の前に見られる天と人間によって住める地が意味されることはできません。
霊界によってそこに天使と霊たちが住んでいる世界が意味され、自然界によってそこに人間が住んでいる世界が意味されます。
霊界の中の教会の新しいものが近ごろつくられ、自然界の中に教会の新しいものが生じることは、小著『最後の審判に』の中にいくらかに示されており、その『続編』にさらに十分に示されるでしょう。