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神の愛と知恵 5

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5 しかし、このことが理解されるためには、主は愛の本質そのもの、すなわち、神的な愛であられるので、天界の天使の前に太陽として見られること、その太陽から熱と光が発出し、そこから発出する熱はその本質では愛であり、そこから発出する光はその本質では知恵であること、天使はその霊的な熱と霊的な光を受け入れれば受け入れるほど、それだけ愛と知恵であること、自分自身からではなく、主から愛と知恵であることを完全に知らなくてはなりません。
その霊的な熱とその霊的な光は天使のもとに流入し、働きかけるだけでなく、人間のもとにも完全に受け入れるものとなるようにまで、流入し、働きかけ、彼らの主への愛と隣人に対する愛にしたがって、彼らは受け入れるものとなります。
その太陽そのものは、すなわち、神的な愛は、それ自体の熱と光によって、それ自体から直接に何かを創造することはできません。というのは、このようにしてそれはその本質において愛となってしまい、それは主そのものであるからです。しかし、熱と光そのものを受け入れることができるように形成された実体と物質から創造することができます。比べれば、世の太陽は熱と光によって直接に地球に発芽を生み出すことができませんが、土地の物質から、熱と光によって土地の物質に内在し、その土地の物質から植物を発芽させることができるようなものです。
主の神的な愛が霊界の中で太陽として見られること、そしてそれから霊的な熱と霊的な光が発出すること、そこから天使に愛と知恵があることは、著作『天界と地獄』に見られます(116―140番)。