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神の愛と知恵 4

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神おひとりが、したがって主が、いのちそのものであるので、愛そのものであられ、天使と人間は、いのちを受け入れるものである

4 このことは『神の摂理』と『生活』についての論文の中で、多くの説明をします。ここではただ、「全世界の神である主は、創造されず、無限なものである。けれども、人間と天使は創造され、有限である」とだけ述べておきます。主は創造されず、無限なものであるので、エホバと呼ばれる「存在」そのものであり、いのちそのもの、または本質的に、いのちです——創造されないもの、無限なもの、存在そのもの、いのちそのものからは、神性は一つであり、分かつことができないので、だれも直接にではなく神性が内在することができるように形作られ、創造された有限なものから創造されなくてはなりません。 人間と天使はこのようなものであるので、いのちを受け入れるものです。
それゆえ、だれかが、「人間とは、いのちを受け入れるものではなく、いのちである」という思考に連れ去られることを許すなら、どうしても〔自分は〕神であるという思考から抜け出ることはできません。 人間〔自身〕がいのちであるように感じ、ここからそうであると信じることは、〔感覚の〕欺きからです。というのは、主要な原因と手段となる原因を一つのもののようにしか知覚しないからです。
主は、ご自分のうちにいのちがあることを「ヨハネ福音書」で教えられています、
……父がご自分のうちにいのちを持つように、子にもまた自分のうちにいのちを持つことを与えられた (2:26)。

そして「いのちそのもの」であられること (ヨハネ11:25, 14:6)。
それで、前述のこと (1, 2番) から明らかなように、いのちと愛は一つであるので、いのちそのものであられる主は愛そのものであられる、といえます。