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神の愛と知恵 125

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125 方位は天使による愛と知恵のいろいろな受け入れであるので、それらの外観が存在するようになる変化について述べます。
前の章で示されたように〔113―118番〕、主は天使の中におられ、天使は主の中にいますが、太陽としての主は彼の外におられるように見えるので、主は彼を太陽から見られ、彼は主を太陽の中に、まったく鏡の中に像を見るようにも見えます。
それゆえ、もしその外観から話すなら、その時、次のようなものとなります。主は顔と顔を向かい合わせてそれぞれの者を見、また眺められますが、逆に天使はそのように主を見ません——主から主への愛の中にいる者は、その方をまっすぐ前方に見るので、それゆえ、彼らは東と西にいます——けれども、多くの知恵の中にいる者は、主を斜め右側に、少ない知恵の中にいる者は、斜め左側に見ます。それゆえ、後者と前者は北と南にいます。
これらの者が斜めに見るのは、前に述べたように、愛と知恵は主から一つのもののように発出しますが、天使により一つのように受け入れられず、また愛に比べて多い知恵は、知恵のようなものに見えますが、それでも、知恵が多過ぎるものに愛からのいのちは内在しないので、知恵ではないからです。
これらから、天使の住居が霊界の方位にしたがって見えるのは受け入れの相違にしたがっていることが明らかです。