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神の愛と知恵 157

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自然界の太陽は、純粋な火であり、ここから死んでおり、自然は、その太陽から起源を導いているので、死んだものである

157 創造そのものは、少しも自然界の太陽に帰せられることはできず、すべてのものは霊界の太陽に帰せられます。自然界の太陽は完全に死んだものですが、霊界の太陽は生きているからです。というのは、神的な愛と神的な知恵から発出する最初のものであるから。死んだものは、それ自体からは何も働かず、働きかけられます——それゆえ、それ〔自然界の太陽〕に創造の何らかのものを帰することは、職人がつくる製品を、職人の手によって働かされる道具に帰するようなものとなります。
 自然界の太陽は純粋な火であって、それからは、いのちのすべてのものが切り離されています。しかし、霊界の太陽はその中に神的ないのちが存在する火です。自然界の太陽の火について、また霊界の太陽の火について、天使の観念は次のものです——
 神的ないのちは、霊界の太陽の火には内部に、しかし自然界の太陽の火には外部に存在する。
 このことから、自然界の太陽はそれ自体からではなく、霊界の太陽から発出する生きている力によって実行していることを知ることができる。それゆえ、霊界の太陽の生きている力が抑えられるかまたは取り去られるなら、自然界の太陽は崩壊する。
 ここから、太陽礼拝はすべての神礼拝で最低である、というのは、〔その礼拝は〕太陽そのもののようにまったく死んでいるから。それゆえ、その礼拝はみことばの中で「忌まわしいもの」と呼ばれる。