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神の愛と知恵 273

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273 (1) 悪とそこからの虚偽の中にある自然的な心は、地獄の形と映像である
人間のもとの自然的な心がその実体的な形の中でどんなものであるか、すなわち、脳の中で両方の世界の実体から構成されたその形の中でどんなものであるか、ここで述べることはできません——その形について全般的な概念は、心と身体の対応について扱われる続きの中で与えられます。
ここではただ形について、その状態やその変化に関して何らかのものだけを言い、それらの状態やその変化によって知覚、思考、意図、意志、またそれらに属するものを示します。なぜなら、悪とそこからの虚偽の中にある自然的な心は、それらの状態やその変化に関して、地獄の形と映像であるからです。
この形は主体として実体的な形を前提とします、というのは、主体である実体的な形なしに、ちょうど目のない視覚、耳のない聴覚のように、状態の変化は存在できないからです。
そこで、自然的な心は地獄を映し出す形または映像について、その形と映像は、この心の欲望とともに、その心の全般的な状態である支配愛であって、地獄の中の悪魔であるようであり、その支配する愛から生まれる虚偽の思考が悪魔の仲間のようです。みことばの中でもまた悪魔とその仲間によって他のものは意味されません。
物事は地獄の中でもまた同様です。なぜなら、地獄の中には自己愛から支配する愛である支配愛があるから。その愛はそこで悪魔と呼ばれ、そして虚偽への情愛はその愛から生まれる思考とともにその仲間と呼ばれます——それぞれの地獄の社会の中でも、一つの種類の中での特殊な相違のような相違とともに同様です。
自然的な心もまた同様の形の中にあり、それらは悪の中に、またそこから虚偽の中にあります。それゆえ、このようなものである自然的な人間もまた、死後、自分自身に似た地獄の社会にやって来て、その時、すべてと個々のものの中でその社会と一つとなって働きます。というのは、自分自身の形の中に、すなわち、自分自身の心の状態の中にやって来るからです。
サタンと呼ばれる別の愛があり、それは悪魔と呼ばれる前述の愛に従属しています。それはどんな悪の技巧によってでも他の者の財産を所有しようとする愛です。悪意ある才気と欺くことはその仲間です。この地獄にいる者は一般にサタンと呼ばれ、また前のものにいる者は一般に悪魔と呼ばれ、ひそかに行動しない者はそこでその名前を拒否しません。ここから、地獄は組み合わせて悪魔とサタンと呼ばれます。
すべての天界は二つの愛にしたがって区別されて天的と霊的の二つの王国の中にあるので、二つの地獄は一般にそれらの二つの愛にしたがって区別されています。そして悪魔の地獄は反対の位置にある天的な王国と対応し、そしてサタンの地獄は反対の位置にある霊的な王国と対応します。天界が天的と霊的の二つの王国に区別されることは、著作『天界と地獄』(20―28番)に見られます。
このようなものである自然的な心が地獄の形をしていることは、すべての霊的な形は最大のものと最小のものの中でそれ自体に似ているからです。ここから、それぞれの天使は小さい形の中の天界であり、このこともまた著作『天界と地獄』(51―58番)に示されています。このことからもまた、悪魔かサタンであるそれぞれの人間または霊は小さい形の中の地獄であることになります。