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神の愛と知恵 274

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274 (2) 地獄の形と映像である自然的な心は、三つの段階を通って下る
すべての最大のものと最少のものの中に高さと幅の段階と呼ばれる二種類の段階があることは、前に見られます(222―229番)。自然的な心にもまた、その最大のものと最少のものの中にこのような段階があります——ここでは高さの段階が意味されます。
自然的な心は、推理力と自由と呼ばれる二つの能力から、三つの段階を通して上り、三つの段階を通して下ること、善と真理により上り、悪と虚偽により下ることができるような状態の中にあります。上る時、地獄へ向かう低い段階は閉ざされ、そして降る時、天界へ向かう高い段階は閉ざされます。
反作用の中にあるのがその理由です。
これらの高いまた低い三つの段階は、生まれて間もない人間には開かれも閉ざされてもいません。というのは、その時、善と真理について、また悪と虚偽について無知の中にいるから。しかし、その前者か後者の中に自分自身を入れるほど、一方か他方が開かれるか閉ざされるかします。
地獄に向かって開かれるとき、意志に属する支配愛は最高または最内部の位置を割り当てられます。その愛からの理解力である虚偽の思考は第二のまたは中間の位置を割り当てられます。そして思考を通して愛の結論は、すなわち、理解力を通して意志の結論は最も低い位置を割り当てられます。
ここにもまた高さの段階と同様のものがあり、それらについては以前に述べましたが、例えば、秩序の中の目的・原因・結果、または最初の目的・中間の目的・最後の目的です。これらの段階の降下は身体に向かっています。ここから、それらの段階は降下の中で、粗悪になり、物質的に、形体的になります。
みことばからの真理がそれらの段階を形作るために第二の段階の中に結び付けられるなら、その時、それらの真理は、悪の愛である最初の段階から虚偽化され、召使いや奴隷になります。そのことから、みことばからの教会の真理が、悪の愛の中にいる者、すなわち、彼らの自然的な心が地獄の形の中にある者のもとで、どんなものになるか明らかにすることができます。手段として悪魔に仕えるので、冒涜されてしまいます。というのは、前に言われたように、自然的な心の中で支配する悪の愛は、地獄であり、悪魔であるからです。