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神の愛と知恵 275

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275 (3) 地獄の形と映像である自然的な心の三つの段階は、天界の形と映像である霊的な心の三つの段階と対立している
 自然的・霊的・天的と呼ばれる心の三つの段階があること、それらの段階から構成される人間の心は天界に目を向け、それへとそれ自体を曲げることは、前に示されました。ここから、自然的な心は、下方を眺める時、またそれ自体を同様に三つの段階から構成される地獄に向けて曲げること、それぞれのその段階が天界である心の段階に対立していることを知ることができます。
 このようであることが霊界の中で見られたことから私にはっきりと明らかとなりました。すなわち、三つの天界があり、それらは高さの三つの段階にしたがって区別されていること、三つの地獄があり、そしてそれらもまた高さまたは深さの三つの段階にしたがって区別されていること、地獄はすべてと個々のものにおいて天界に対立していること——なおまた最低の地獄は最高の天界に対立し、中間の地獄は中間の天界に対立し、最高の地獄は最も低い天界に対立することです。
 地獄の形の自然的な心も同様です。というのは、霊的な形は、最大のものの中と最少のものの中でそれ自体に似ているから。
 天界と地獄がこのように反対の位置にあるのは、それらの愛がこのように対立しているからです。
 天界の中で、主への愛は、またここから隣人に対する愛は最内部の段階をつくります。しかし、地獄の中で、自己愛と世俗愛は最内部の段階をつくります——天界の中で、その愛からの知恵と知性は中間の段階をつくります。しかし、地獄の中で、知恵と知性に見える愚鈍と狂気は、その愛から中間の段階をつくります——けれども、天界の中で、二つのそれらの段階からの終結が最も低い段階をつくり、それらは知識として記憶の中に蓄えられるか、あるいは身体の中で行為の中に確定しています。地獄の中で、二つのそれらの段階からの終結が最外部の段階をつくり、それらは知識となり、あるいは行為となっています。
 天界の善と真理が、地獄の中で、どのように悪と虚偽に、このように正反対のものに変えられるか、次の経験から明らかにすることができます。
 私は、ある神的な真理が天界から地獄の中に流れ下ったことを聞き、それが降下の途中で徐々に虚偽に変わり、そのように最低の地獄へ降下したとき、まったく正反対のものに変わったことを聞きました。このことから、すべての善と真理に関して地獄は段階にしたがって天界に対立していること、反対に向きを変えた形の中への流入によって悪と虚偽になることが明らかです。なぜなら、すべての流入が受け入れる形とそれらの状態にしたがって知覚され、感じられることは、よく知られているからです。
 反対のものへの回転があることは、次の経験からもまた私に明らかとなりました——天界と比べて、その位置にある地獄を見ることが与えられ、そこに頭を下に、足を上にして、逆さである者が見られました。しかし、彼ら自身には、足の上に直立して見えたのであり、このことは対蹠地の住民にたとえられることができる、と言われました。
 これらの経験の証拠から、地獄の形と映像である自然的な心の三つの段階は、天界の形と映像である霊的な心の三つの段階に対立していることを明らかにすることができます。