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神の愛と知恵 276

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276 (4) 地獄である自然的な心は、天界である霊的な心に逆らって対立するすべてのものの中にある
 愛が対立する時、知覚するすべてのものも対立します。というのは、人間のいのちそのものをつくる愛から、流れがその泉から流れ出るように、他のすべてのものが流れ出るからです——ここからでないものは、自然的な心の中で、ここからであるものから分離します。
 彼の支配する愛からのものは中央にあり、他のものは脇に置かれます。その脇へ置かれるものが、みことばからの教会の真理であるなら、中央からさらに遠く、脇へ遠ざけられ、ついに追放され、その時、人間は、すなわち、自然的な心は、悪を善のように知覚し、虚偽を真理のように見ます、そして逆に〔善を悪のように知覚し、真理を虚偽のように見ます〕。
 悪意を知恵、狂気を知性、欺きを思慮分別と、悪の技巧を才気と信じることは、このことからです。その時、教会と礼拝のものである神的なものや天界のものもまた、無価値なものとされ、身体と世に属するが最も重要なものとされます。
 そのように、そのいのちの状態は、頭のものであるものを足の裏のものに、また足の裏のものであるものを頭にするように、逆さまになります。
 このように人間は生きているものから死んだものになります。
 心が天界である者は生きている、そして心が地獄である者は死んでいる、と言われます。