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神の愛と知恵 283

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283 明るく照らされた理性から考えるすべての者は、何らかのものが無からつくられることができないことを見るので、無から全世界が創造されないことを見ます。なぜなら、無は無であり、無から何らかのものをつくることは矛盾しており、矛盾していることは、神的な知恵からの真理の光に反しているからです。何であれ、神的な知恵からでないものは、神的な全能からのものでもありません。
明るく照らされた理性から考えるすべての者は、創造されたすべてのものは本質的に実体である実体からのものであることもまた見ます。というのは、それは「存在」そのものであり、存在するすべてのものはそこから存在するようになることができるからです——神おひとりが本質的に「実体」であられ、ここから「存在」そのものであられるので、物事の存在は別の源泉からでないことが明らかです。
このことは理性が見ることを与えるので、多くの者に見られます。しかし、創造された全世界が神からなので神であること、あるいは、自然がそれ自体から存在すること、このようにその最内部のものが神と呼ばれるものである、というような思考が起こったとしても、恐れて、あえて確認しません。
ここから、自分の理解力がゴルディオスの結び目にもつれ込み、その後、そこから解放されることないようにと、多くの者が、すべてのものの存在が神から、また「存在」そのものから以外の別の源泉からでないことを見るとはいえ、それでもそのことについて最初の思考からあえて先へ進むことをしません。
理解力が解放されることができない理由は、神について、神からの全世界の創造について、自然に固有のものである時間と空間から考え、自然から神と全世界の創造について知覚することは、だれもできないからですが、理解力が何らかの内的な光の中にあるすべての者は、神からの自然とその創造を知覚することができます。神は時間と空間の中に存在しないからです。
神性は空間の中に存在しないこと(7―10番)、神性は空間なしに全世界のすべての空間を満たすこと(69―72番)、神性は時間なしにすべての時間の中に存在すること(73―76番)は、前に見られます。
神は全世界とそのすべてのものをご自分から創造されたとはいえ、それでも創造された全世界の中に神であるものは少しもないこと、この事柄に光を投げかけるさらに多くのことが続きの中に見られます。