カテゴリー

神の愛と知恵 383

382◀︎目次▶︎384

383 理解力は肺に、またここから思考は肺の呼吸に対応するので、それゆえ、みことばの中の「霊魂」と「霊(息)」によって理解力が意味されます——例えば、

 あなたはあなたの神である主を、あなたの全心から、全霊から愛さなければならない(マタイ22・37)。
 神は新しい心と新しい霊を与えられる(エゼキエル34・26、詩篇51・10)。

 「心」が意志の愛を意味することは、前に示されています。ここから「霊魂」と「霊」によって理解力の知恵が意味されます。
 「聖霊」ともまた呼ばれる「神の霊」によって、神的な知恵、またここから神的な真理が意味され、それによって人間に照らしが生じることは、『新しいエルサレムの教え 主について』(50、51番)に見られます。ここから、主は弟子たち息を吹き入れられ、「 聖霊を受けよ」(ヨハネ20・22)と言われました。
 ここからさらにまた、 神であるエホバはアダムの鼻の中にいのちの息を吹き込まれました。すると生きているいのちになった(創世記2・7)ことが言われています。
 また預言者に、「 霊の上に預言せよ。…また息へ言え。…四つの方向から息が来い、また殺害された者たちの中に吹き込め、生きるように」(エゼキエル37・9)と言われました。他の箇所も同様です。
 ここから、主が「鼻の息」、また「いのちの息(呼吸)」ともまた言われています。
 呼吸は鼻を通って通り過ぎるので、それゆえ、それによって知覚が意味され、知的な者は鼻が鋭い、知的でない者は鼻が鈍い、と言われます。さらにまたそのことから、へブル語で、また他のある言語で「霊」と「息」は一つの言葉です——というのは、「霊」という言葉はその起源を「息」から得ているからであり、それゆえ、人間が死ぬときもまた、息(霊魂)を吐き出す、と言われます。
 さらまたそのことから、人間は、「霊は肺から吐き出される息のような風かまたは何か空気のようなものであり、霊魂も同様である」と信じるのです。
 これらから、「神を全心で、全霊で」愛することによって、すべての愛とすべての理解力で愛することが意味されること、「新しい心と新しい霊」を与えることによって、新しい意志と新しい理解力を与えることが意味されることを明らかにすることができます。
 「霊」は理解力を意味するので、それゆえ、ベツァルエルについて、「 知恵、理解力、知識の霊に満たされている」(出エジプト記31・3)、またヨシュアについて、「 知恵の霊に満たされている」(申命記34・9)と言われ、ネブカデネザルはダニエルについて、「 知識、理解力、知恵のすぐれた霊が、彼の中にあった」と言いました(ダニエル5・11、12、14)。「イザヤ書」には、「 霊で迷う者たちは理解力を知る」とあります(イザヤ29・24)。
 多くの他の箇所も同様です。