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神の愛と知恵 409

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409 (11) 愛または意志は、知恵または理解力との結合の中にないなら、何も行なわない
というのは、理解力のない愛に、何も感覚的ないのちも活動的ないのちもなく、愛が理解力を心のすべてのものの中に導き入れるとき(前の407, 408番に、示されているように)愛または意志は理解力との結合の中でないなら何も行なわない、といえるからです——理解力のない愛から行動することとは何ですか? これは理性のないものとしか呼ぶことができません。というのは、理解力は何を行なうべきか、どのように行なうべきかを教えるからです。理解力のない愛はこのことを知りません——それゆえ、二つのものであるとはいえ、それでも一つとして働くように、そのために、愛と理解力の間に、このような結婚があります。同様の結婚が善と真理の間にあります、なぜなら、善は愛に属し、また真理は理解力に属するからです。
このような結婚が、主から創造された全世界の個々のものの中にあります。それらの役立ちは善に関係し、役立ちの形は真理に関係します。身体のすべてのものと個々のものの中に右と左があるのはこの結婚からであり、右は真理のもととなる善に関係し、左は善からの真理に、したがって結合に関係します。人間の中に対があるのはこのことからです。二つの脳があり、脳の二つの半球があり、心臓の二つの心室があり、肺の二つの葉があり、二つの目、耳、鼻、腕、手、腰、足、腎臓、睾丸、また他のものがあります。また対がないところには右と左があります。
これらが存在するのは、善は存在するようになるために真理に目を向け、真理は存在するために善に目を向けるからです。天使の天界の中でも、それらの個々の社会の中でも同様です。これらについて多くのことが前に見られ、そこには(401番)、愛または意志は、知恵または理解力との結婚がなくては、その人間の形によって何もすることができないことが示されています。善と真理の結合に対立している悪と虚偽の結合については他のところで述べます。