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神の愛と知恵 408

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408 (10)愛または意志は、知恵または理解力を自分の家のすべてのものの中へ導き入れる
愛または意志の家によって、心のものであるすべてのものに関する人間全体が意味されます。(前に示されたように)それらは身体のすべてのものに対応するので、家によって、四肢、器官、内臓と呼ばれる身体のものであるすべてのものに関する人間全体もまた意味されます。
理解力が心のすべてのものの中に導き入れられているのと同様に、肺がそれらすべてのものの中に導き入れられていることは、前に示されたことから明らかにすることができます——例えば、愛または意志は、来るべき配偶者のために家または部屋を準備し、その配偶者は知恵または理解力であること(402番)、また、愛または意志は、知恵または理解力と結合して働くことができるために、その人間的な形の中に、すなわちその家の中に、すべてのものを準備することです(403番)。
そこに言われていることから、身体全体の中のすべてと個々のものは、肋骨、椎骨、胸骨、横隔膜、とそれらからつり下がっている腹膜から送り出された靭帯は、このように連結されています、肺の呼吸と同時に交替の活動の中に引き寄せられ、導かれるもたらされることが明らかです。呼吸の交替運動が内臓そのものの中に、その最内部の奥底にまでも入ることは、解剖学から明らかにすることができます。なぜなら、すぐ前に言及した靭帯は、内臓の被覆に密着し、その被覆は突起によって、動脈と静脈もまた分枝によって行なうように、その最内部にまで入るからです。ここから、肺の呼吸は、心臓とすべておいて結合して、身体のすべてと個々のものの中にあることを明らかにすることができます——その結合がすべての点で働くために、心臓そのものもまた肺の運動の中にあります。というのは、肺のふところの中にあり、心耳によって密着し、横隔膜の上に横になり、動脈もまた横隔膜を通して肺の運動に参加するからです。
さらに胃も、気管との食道の密着性によって、同様に結合しています。
愛または意志が知恵または理解力との結合がどんなものであるか、そして、両方ともが心のすべてのものとの交わりの中にあることが見られるようにとの目的のために、これらのことが解剖学から付け加えて言いました。なぜなら、〔心の中のものは身体の中のものと〕同様であるからです。