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神の愛と知恵 415

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415 知恵と愛のこの結合と分離は、心臓との肺の結合の中に、あたかも映し出されたもののように見ることができます——というのは、心臓はそれ自体から送られる血から気管支の房状の小囊に結合されることができ、それ自体からでなく大静脈と大動脈からの血から結合されることができるから。このことによって身体の呼吸は霊の呼吸から分離されることができます。しかし、心臓だけからの血が働く時、呼吸は分離されることができません。
 さて、思考は対応によって呼吸と一つとして働くので、呼吸に関する肺の二重の状態からもまた、人間は他の者との交わりの中で考え、考えから話し、行動することができることと、交わりの中にいないとき、すなわち、名声を失う恐れがないときに、考え、考えから話し、行動することは異なっていることが明らかです。というのは、その時、神、隣人、教会の霊的なものに反して、道徳と市民の事柄に反して考え、話すことができ、そしてまた、盗み、復讐し、冒涜し、姦淫して、それらに反して行動することもできるから——しかし、名声を失う恐れのある交わりの中では、まったく霊的な人間のように話し、語り、行動することができます。
 これらから、愛または意志は、そして理解力は、その段階の中で知恵を愛するかぎり、同様に高揚され、天界の熱に属するもの、すなわち、愛に属するものを知覚することができ、それらを愛さないなら、分離されるようにできることを明らかにすることができます。