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神の摂理 48

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48 (1)本質的に「無限なもの」と「永遠なもの」は、神性と同一である
このことは、著作『神の愛と知恵』の中の多くの箇所で示されているものから明らかにすることができます。
本質的に「無限なもの」と「永遠なもの」は、天使の観念からのものです。天使は「無限なもの」によって神的なエッセ以外に、そして「永遠なもの」によって神的なエキシステレ以外に何も理解しません。
しかし、本質的に「無限なもの」と「永遠なもの」が神性であることは、人間によって見られることができ、また見られることができません。「無限なもの」について空間からでなく、そして「永遠なものについて時間からでなく考える者により見られることができます。しかし、無限なものと永遠なものについて空間と時間から考える者により見られることができません。
このように、高揚された者、すなわち、理性的なものの中で内的に考える者により見られることができます。そして、低い者、すなわち、外的に考える者により見られることができません。
[2]空間の無限なものは存在することができないことを、したがって、時間の無限なものを、それから永遠なものもまた存在することができないことを考える者により見られることができます。なぜなら、無限であるものは境界、最初と最後、すなわち、限界がないからです。
さらにまた、それ自体から「無限なもの」は存在することができない、と考えます。それ自体から限界と始まりを、あるいはそのもととなる最初のものを仮定するからです。その結果として、それ自体からの「無限なもの」と「永遠なもの」を言うことは空虚です、それはそれ自体からのエッセを言うようなものであるので、矛盾です、なぜなら、それ自体からの「無限なもの」は、「無限なもの」からの「無限なもの」であり、またそれ自体からのエッセはエッセからのエッセであるからです。そして、その「無限なもの」とエッセは「無限なもの」と同じものであるかあるいは有限なものです。
理性的な者の中で内的に見られることができるこれらと類似のものから、本質的に「無限なもの」と「永遠なもの」があり、両者はすべてのもののもとである神性であることが明らかです。