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神の摂理 52

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52 (2)本質的に「無限なもの」と「永遠なもの」は、有限なものの中にそれ自体から無限なものと永遠なものに目を向けることしかできない
本質的に「無限なもの」そして「永遠なもの」によって、直前の節の中に示されているように、神性そのものが意味され、有限なものによってその方により創造されたすべてのもの、そして、特に、人間、霊、天使たちが意味されます。また、それ自体からの無限なものそして永遠なものに目を向けることによって、神性に、すなわち、人間が鏡の中の自分自身の像を眺めるように、それら〔無限なものと永遠なもの〕の中のそれ自体に目を向けることが意味されます――そのようであることは、著作『神の愛と知恵』の中で、特に、そこに論証されている多くのものによって示されています。創造された全世界の中に人間の像が、また、無限なものそして永遠なものの像が(317、318番)、このように、創造者なる神の像、すなわち、永遠からの主の像があることです。
しかし、本質的な神性は主の中にあること、それでも、それ自体からの神性は創造されたものの中の主からの神性であることを知らなければなりません。