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神の摂理 99

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99 主の神性やみことばの聖性を否定した者に、なおまた神性に反対して自然のほうを選んで自分自身に確信した者に、自主性そのものと推理力そのものは与えられることができないこと、宗教の虚偽の中で多くのものを確信した者にほとんど与えられないこと――しかしそれでも、すべての者が、それらの能力そのものを失なわなかったことを述べました。
私は悪魔とサタンになった無神論者たちのことを聞きました。その者たちは、天使のように知恵のアルカナをよく理解しました、しかし、ただ他の者からそれらを聞いたときだけであり、自分の思考の中に戻った時、理解しませんでした。その理由は、彼らが欲しなかったからでした。
しかし、もし愛とそこからの悪の快さが彼らを連れ去らなかったなら、欲することもまたできたであろうことが彼らに示されました。彼らはこのことを聞いたときもまた理解しました。それどころか、「〔そのことが〕できる。しかし、できることを欲しなかった。このように欲することができることを欲しなかったのは、その欲望の快さからの悪があったからである」と断言しました。
このような驚くべきことを私は霊界の中でしばしば聞きました――これらから私は、それぞれの人間に自主性と推理力があること――だれもが、悪を罪として避けるなら、自主性そのものと推理力そのものの中にやって来ることができることを十分に確信しました。
しかし、世の中で自主性そのものと推理力そのものの中にやって来ない成人は、死後、だれもそれらの中にやって来ることができません、なぜなら、その時、彼のいのち(生活)の状態は、世の中であったようなものに永遠にとどまるからです。