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神の摂理 100

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(4–2)神的な摂理の法則は、人間が外なる人の中の罪として悪を自分自身からのように遠ざけなくてはならないことである。主が内なる人の悪を遠ざけることは、そのとき同時に外なる人の中の悪が遠ざけられるようにしてでなければ、おできにならない

100 善そのもの真理そのものである主は、悪と虚偽が人間のもとで遠ざけられないなら、彼の中に入ることができないことを、だれでも理性だけから見ることができます。悪は善と対立し、虚偽は真理と対立しているからです。二つの対立しているものは決して交わることができませんし、一方がもう一方に近づくとき、闘争が起こり、それは一方がもう一方に場所を譲るまで続き、譲るものが立ち去り、もう一方が後に続きます。
このような対立が天界と地獄に、すなわち、主と悪魔にあります。
悪魔が支配している場所に主が入ることができる、または、地獄がある場所に天界が存在できる、とだれか理性から考えることができますか?
だれが、それぞれの健全な人間に与えられている推理力から、主が入るために悪魔が追い払われなければならないこと、あるいは天界が入るために地獄が遠ざけられなくてはならないことを見ませんか?
[2]その対立は、地獄の中の富んだ者への天界からのアブラハムの言葉によって意味されます、
私たちとあなたがたの間に巨大な裂け目が堅く立てられている。この場所からあなたがたのところへ、そこの者もまた私たちのところへ渡ろうとしても、通り過ぎることができない(ルカ16・26)。
悪そのものは地獄であり、そして善そのものは天界です。または同じことですが、悪そのものは悪魔であり、善そのものは主です。人間の中で悪が支配している者は最小の形の地獄であり、人間の中で善が支配している者は最小の形の天界です。
そのようであるので、その裂け目が、ここからそこへ通り過ぎることができないように巨大に堅く立てられているとき、どのように天界が地獄の中に入ることができますか?
これらから、主が天界とともに入ることができるために、完全に地獄は遠ざけらなくてはならないことがいえます。