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神の摂理 102

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102 さて、言われたことから、悪は人間により遠ざけられることが神的な摂理の法則であることを明らかにすることができます、というのは、それらの除去なしに主は人間に結合されること、また彼らをご自分から天界の中に引き寄せることがおできにならないからです。
しかし、人間が自分自身からのように外なる人の中で悪を遠ざけること、人間がそれを自分自身からのように行なわないなら、主は内なるものの中で彼のもとで悪を遠ざけることができないことが知られていないので、それゆえ、このことを理性の前に、その光の中で、次の順序で示します――

(1)人間のだれにも思考の外なるものと内なるものがある。
(2)人間の思考の外なるものは、本質的にその内なるものがどんなものであるかによる。
(3)悪が外なる人の中で遠ざけられないかぎり、妨げるので、内なる人は悪の欲望から清められることができない。
(4)外なる人の中の悪は、人間によってでなければ、主により遠ざけられることができない。
(5)それゆえ、人間は自分自身からのように悪を外なる人から遠ざけなくてはならない。
(6)その時、主は人間を、内なる人の中で悪の欲望から、外なる人の中で悪そのものから、清められる。
(7)人間をご自分に、ご自分を彼に結合させ、彼に永遠のいのちの幸福を与えることができるように、絶え間のない主の神的な摂理があり、このことは、悪がそれらの欲望とともに遠ざけられていないかぎり、行なわれることができない。