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神の摂理 113

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113 人間は自分の悪の欲望を知覚することができません。確かにそれらの快さを知覚しますが、しかしまた、それらについてほとんど熟考しません、快さが思考をうれしがらせ、熟考を取り去るからです。
それゆえ、もし、悪があることを別の場所から知らないなら、それを善と呼び、自分の思考からの論証にしたがって、それらを犯します。それを行なうとき、それらを自分のものにします。
それらを許されたものとして確信すればするほど、それだけ支配する愛の宮廷を大きくします、その宮廷は彼のいのちの愛です。
欲望は彼の宮廷をつくります、なぜなら、それらの欲望はその大臣と従者のようであり、それによってその王国を構成する外的なものは治めます。
しかし、王がいるように、そのような大臣と従者がいて、そのような王国があります。
もし、王が悪魔なら、その時、その大臣と従者は狂人であり、そしてその王国の人民はすべての種類の虚偽です。それらの大臣を賢明な者と呼んでも、それでも狂っており、〔感覚の〕欺きからの(誤った)推論や空想によって、真理のように見え、そして真理として認められるようにします。
このような人間の状態は、外なる人の中の悪が遠ざけられ、さらにまたこのように悪に密着する欲望が遠ざけられることによらないで、変えられることができますか?
そうでなければ、欲望の出口は開かれず、さらにまた包囲された都市のように、またふさがれた潰瘍のように閉じ込められます。