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神の摂理 137

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137 これらから、強制された礼拝が、また強制されない礼拝がどんなものか明らかにすることができます。
強制された礼拝は、身体的な、活気のない、不明瞭な、憂鬱な礼拝です――身体的であって心のものでないので身体的です。いのちがその中にないので活気がありません。理解力がその中にないので不明瞭です。また天界の快さがその中にないので憂鬱です。
しかし、強制されない礼拝は、本来のものである時、霊的な、生き生きとした、照らされた、元気のよい礼拝です。主からの霊がその中にあるので霊的です。主からのいのちがその中にあるので生き生きしています。主からの知恵がその中にあるので照らされています。主からの天界がその中にあるので元気がよいものです。