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神の摂理 138

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138(4)推理力や自主性のない状態の中で、だれも改心されない
理性にしたがって自由から行動するものでないなら、何も人間に自分のものとされないことは前に示しました。
その理由は、自由は意志のもの、理性は理解力のものであり、人間が理性にしたがって自由から行動し、意志からその理解力によって行動する時、両方の結合の中で生じるものは、自分のものとされるからです。
それで、主は、人間が改心し、再生するように、彼に永遠のいのち、すなわち、天界のいのちがあるように望まれているので、だれも、彼の意志に善が彼のものであるように、そしてまた彼の理解力に真理が彼のものであるように自分のものとされないなら、改心し、そして再生することができず、理解力の理性にしたがって意志の自由からのものでないなら何もだれにも自分のものにされることができないので、だれも自主性のない、推理力のない状態の中では再生されないことがいえます。
自主性のない、推理力のない状態は数多くあります――これらは全般的に、恐怖・不幸・心の病・身体の病気・無知・理解力の盲目の状態に関係します。
しかし、それぞれの状態について、何らかのものを特に述べます。