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聖書について57

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57 (3) 教えに属すべき本物の真理は、主から照らされている者にしか、みことばの文字どおりの意味の中に見られない――
照らしは、主だけからであり、真理を真理であるから愛する者、またそれを生活に役立てる者のもとにあります。他の者のもとに、みことばの中に照らしは与えられません。
照らしが主だけからであるのは、主はみことばのすべてのものの中におられるからです。
真理を真理であるから愛し、それを生活の役立ちとする者のもとに照らしがあるのは、彼らは主の中にいて、主は彼らの中におられるからです。
というのは、主はご自分の神的真理であられるからです。神的真理であるからと、みことばが愛され、これが愛されて役立ちとなる時、主は人間のもとで、みことば中におられます。
これらのこともまた、主は「ヨハネ福音書」で教えられています、

 その日に、あなたがたは、あなたがたがわたしの中に、わたしがあなたがたの中にいることを知ります……わたしの戒めを持ち、それを行なう者は……わたしを愛し……わたしは彼を愛し、彼にわたし自身を現わします。わたしは彼のところに来て、彼に住まいをつくります(14・20, 21, 23)。

また「マタイ福音書」に、

 心のきれいな者は幸いです、この者は神を見るからです(5・8)。

みことばを読むとき、照らしの中にいる者は、この者であり、彼らのもとで、みことばは輝き、光り貫いています。