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天界と地獄250

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250  天界の天使と話すことは、善からの真理の中にいる者にだけ、特に、主とその人間性の中にある神性を承認している者にだけ許されます。これは、そのことの中に天界が存在する真理であるからです。なぜなら、前に示されたように、主は天界の神であられ(2-6)、主の神性が天界をつくり(7-12)、天界の中の主の神性は、その方からの、その方への愛と隣人に対する仁愛であり(13-19)、全天界は一つの全体として、同様に、天界のそれぞれの社会は一人の人間を表わし、そして、それぞれの天使は人間の完全な形であり、このことは主の神的人間性からであるからです(59-86)。
これらから、天界の天使と話すことは、内的なものが神的真理によって主にまで開かれている者にだけ与えられることが明らかです。なぜなら、主は人間のもとの真理の中に流入され、主が流入されるとき、天界もまた流入するからです。
神的真理が人間の内的なものを開くのは、人間は内なる人に関して天界の映像であり、外なる人に関して世の映像であるように創造されていて(57)、内なる人は、天界の光と天界のいのちである主から発出する神的真理による以外に開かれないからです(126-140)。