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天界と地獄296

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296  人間が主により霊を通して支配されるのは、人間は地獄のものである悪の中に、したがって神的秩序に完全に反するものの中に生まれているので、天界の秩序にいないからです。それゆえ、秩序の中に整えられなくてはなりませんが、霊を通して間接に整えられなくては、整えられることはできません。
もし人間が天界の秩序にしたがっている善の中に生まれていたなら異なっていたでしょう。その時、主により霊を通して支配されずに、秩序そのものによって、このように全般的な流入によって支配されたでしょう。
この流入によって人間は、思考と意志から活動の中へ発出するものに関して支配されています。その発出するものは話すことと行動です。話すことと行動は自然的な秩序にしたがって流れ出るので、それゆえ、人間に接合している霊はその人間の話すことと行動に共通なものを何ももちません。
動物もまた霊界からの全般的な流入によって支配されています、なぜなら、動物は動物自身のいのちの秩序の中にいて、動物に理性はないので、その秩序を歪曲させることも破壊することもできないからです(*3)
人間と獣の間の相違がどのようなものかは前に述べました(39番)。


*3 人間と獣との間には、人間は主によりその方へ高揚され、神性について考え、愛し、このように主に結合されることができ、ここから、永遠のいのちがある、けれども獣は異なっている、という相違がある(4525, 6323, 9231)。
獣はそれ自身の生活(いのち)の秩序の中にいる、またそれゆえ、それ自身の性質に適合するものの中に生まれている――けれども人間はこのように生まれていない、それゆえ、知的なものによって生活(いのち)の秩序に導き入れられなくてはならない(637, 5850, 6323)。
全般的な流入にしたがって、人間のもとで思考は話し方の中に、意志は振る舞いの中に落ち込む(5862, 5990, 6192, 6211)。
獣のいのちの中への霊界の全般的な流入について(1633, 3646)。