カテゴリー

天界と地獄393

392◀︎目次▶︎394

393 世でみことばを愛し、名誉または利益のためでなく、生活と自分自身と他の者の役立ちのためという願いから、そこに真理を捜し求めた者は、天界で教会の組織の中にいます。彼らは役立ちへの愛と願いにしたがって、天界の照らしと知恵の光の中におり、またその中へ天界にあるみことばからやって来ます。そのみことばは世の中のような自然的なものでなく、霊的なものです(前の259番参照)。
これらの者は、説教者の役目を果たし、そこの神的な秩序にしたがって、照らしからの知恵が他の者より秀でている者は上の位置にいます。
[2]世で祖国とその共通の善を自分自身よりも愛し、公正と正義への愛から公正と正義を行なった者は市民の組織の中にいます。
これらの者は、愛の願いから公正な法律を捜し求め、ここから知性ある者となっていればいるほど、それだけ天界の中のそのような役割を執行する能力の中にいて、さらにまた彼らに知性があればあるほど、ますますそれを執行する位置または段階にいます、またその時、その知性は共通の善のための役立ちの愛と等しい段階です。
[3]さらに天界の中には、おびただしいために数えられることができないような、そのように多くの役割と多くの統治、また多くの仕事があります。これと比較すれば、世の中には少ししかありません。
すべての者は、どれほど多くいても、役立ちへの愛から自分自身の仕事と労働の快さの中にいて、だれも自己のまたは利益への愛の中にはいません。すべての生活必需品は、彼らにただで与えられるので、生活のための利益への愛もありません。ただで住み、ただで着せられ、ただで食べます。
これらから、自分自身と世を役立ちよりも愛した者は、天界の中で何の居場所もないことが明らかです――なぜなら、自己の愛または自己の情愛は、世の生活の後に、それぞれの者に残り、永遠に根絶されることがないからです(前の363番参照)。