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天界と地獄 527

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527 世で天界の生活と反対の生活を送った者に、天界の生活を植え付けることは不可能であることを、多くの経験から証言することができます。
死後、神的な真理を天使たちから聞くとき容易にそれらを受け入れ、信じ、ここから生き方を変え、こうして天界に受け入れられることができる、と信じた者がいました――それで、そのことが非常に多くの者に、しかし、ただこれと似た信念の中にいた者だけに、試みられました。彼らにこのことが許された理由は、死後、悔い改めは存在しないことを知るためです。
彼らのうちのある者は、試みられたとき、真理を理解し、それらを受け入れるように見えました。しかし、すぐさま、自分自身の愛の生活(いのち)へ向きを変えたので、それらを退け、それどころか、それらに反して話しました――ある者は、それらを聞くことを望みもしないで、直ちに退けました――ある者は、世から得た愛の生活が、彼らから取り去られ、それに代わって天使の生活が、すなわち、天界の生活が注ぎ入れられることを望みました。このこともまた許しから彼らに行なわれました。しかし、彼らの愛の生活が取り去られたとき、もはや自分自身を抑制できないで、死んだように横たわりました。
これらから、また他の方法の経験から、正直で単純な者は、ある者の生活が死後、決して変えられることができないこと、悪の生活が善のものに、すなわち、地獄のものが天使のものに、移されることは決してできないことを教えられました。それぞれの霊は、頭からかかとまで彼の愛のようなもの、それゆえ、彼の生活のようなものであるので、この生活を反対のものに変えることは、完全にその霊を破壊することです。
天使は、地獄の霊を天界の霊に変えることよりも、フクロウをハトに、ミミズクをゴクラクチョウに変えることのほうが容易であると認めています。
人間が死後、世で彼の生活があったままにとどまることは、前の章で述べました(470-484番)。
今や、これらから、だれも直接の慈悲から天界に受け入れられることはできないことを明らかにすることができます。